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親の雑誌ブログ

バレンタインデーから見る、結婚のきっかけの変化 ~両親のなれそめ、知っていますか?~

カテゴリー:ブログ

投稿日:2019年02月13日(最終更新:2021年04月09)

2月14日はバレンタインデーですね。親世代の時代にはバレンタインデーはあったのか?そして、どのようなきっかけで出会っていたのでしょうか?

自分史作成サービス「親の雑誌」では、60代から100歳以上まで、全国各地約700名の人生の先輩方のお話を聞いてきました。親御さんへの取材では、生まれたときから今に至るまで、その方の人生をじっくりと語っていただきます。その中では当然、パートナーとの出会いのきっかけや結婚についての話題もお聞きしています。パートナーとのなれそめについて、抵抗を示す方が多いかと思いきや、みなさますんなりと大切な出会いの思い出を語ってくださいます。様々な出会いのきっかけや、素敵なエピソードが多く、聞いていて心が温かくなるひと時です。今回は、本日のバレンタインデーにからめて親世代の恋愛・結婚事情に思いをはせてみました。

バレンタインデーチョコ

バレンタインデーの由来は古代ローマ 家族や恋人への愛がきっかけ

はじめに、歴史からバレンタインデーの由来をひも解いてみましょう。バレンタインデーは英語でSt Valentine’s Dayといい、直訳すると「聖バレンタインの日」。バレンタインとは、3世紀ごろローマに実在したキリスト教の聖職者の名前です。

当時のローマでは、兵士の結婚が禁止されていました。皇帝クラウディウス2世が、兵士が「家族が恋しい」という気持ちを抱くと士気が下がってしまうと危惧したからだそうです。家族を持つことを禁じられ、悲しむ兵士たち。その姿を憐れんだバレンタインは、この令に背き、結婚を望む恋人たちのために密かに結婚式を執り行っていました。

しかし、その事実が皇帝に知れてしまい、バレンタインは投獄されてしまいます。それに加えて、当時のローマではキリスト教が迫害されていたため、皇帝はバレンタインに罪を認めさせるだけではなく改宗をも迫ろうとしました。皇帝の命令に応じず獄中でも変わらず神の愛を説き続けたバレンタインは、269年2月14日にとうとう処刑されてしまったのでした。

のちにバレンタインは恋人たちの守護聖人として崇(あが)められ、バレンタインが命を絶たれた2月14日を聖バレンタインの日として祝うようになりました。世界のバレンタインデーを見てみると、アメリカでは男性から女性に向けて花とカードを贈るのが主流となっており、ヨーロッパ各国ではカップルでお互いにプレゼントを贈り合うことが多いようです。

バレンタインデー(日本式)はなぜ広まったのか

バレンタインプレゼントを渡す女性

日本では「女性が男性にチョコレートを贈る日」として広く一般に定着しているバレンタインデーですが、これが日本独自の文化であることをご存知の方も多いのではないでしょうか。

バレンタインデーの贈り物として日本でチョコレートが定着した背景には諸説ありますが、イギリスの老舗チョコレート会社であるキャドバリー社が19世紀後半から販売を始めた「バレンタインデー用のチョコレートボックス」に着想を得て、昭和30年代(1950年代)にチョコレート会社が行ったキャンペーンがきっかけで広がったといわれています。

日本チョコレート・カカオ協会の「日本のバレンタインデー」のページには、朝日新聞1996年(平成9年)9月21日付け日曜版「地球『食材の旅』・カカオ」に掲載されたという日本のバレンタインデーのルーツに関する記事が抜粋されています。

・1958年(昭和33年)2月メリーチョコレート会社(東京)は新宿・伊勢丹の売り場に「バレンタインセール」と手書きの看板を出した。3日間で売れたのは30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚だけであった。
・翌年ハート型チョコを作った。「女性から男性へ」という殺し文句を作ったのもその頃だ。
1992年に聖バレンタイン殉教の地イタリア・テルニ市から神戸市に愛の像が送られた。神戸が日本のバレンタインデー発祥の地と分かったからという。
・チョコレート会社「モロゾフ」(神戸)は1936年(昭和11年)2月12日に、神戸で発行されていた外国人向け英字新聞にバレンタインデー向けチョコレートの広告を出している。※引用

同協会では、日本でのバレンタインデーが「女性が男性にチョコレートを贈る日」として定着した流れを以下のように見ています。

○昭和30年代後半になるとバレンタインデーを積極的に売り出す動きも出てきました。
例えば、森永製菓では1960年(昭和35年)にバレンタイン企画を新聞広告などのマスコミを通して行ない、チョコレートの販売を促進しました。
○この時期にはバレンタイデー用のチョコレートをお買い上げいただいた方々を劇場に招待したり、景品には当時大変貴重であった腕時計をプレゼントとするという新聞広告もありました。
○各社がハート型チョコレートを発売したのもこの時期です。
○多くのチョコレート会社が「バレンタイデーにチョコレート」の販売戦略を進めていくうちに、昭和40年代末から50年代にかけて、女性のこころを捉えて徐々に盛り上がり、今日のように盛んな行事になったと考えられます。※引用

バレンタインデーの定着ともに結婚のきっかけも変化?

こうして見ると、日本では1955~1960年あたりから「女性からチョコレートを贈るバレンタインデー」が徐々に定着してきたようです。

ここで、国立社会保障・人口問題研究所が2015年に実施した「第15回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」から、結婚における「出会いのきっかけ」に関する調査結果を見てみましょう。

恋愛結婚と見合い結婚の推移表

「結婚年次別にみた、恋愛結婚・見合い結婚構成の推移」によると、戦前には見合い結婚が約7割を占めていましたが、その後は恋愛結婚の割合が増え続け、1960年代末に恋愛結婚と見合い結婚の比率が逆転しています。見合い結婚は20世紀を通じて減少傾向にあり、2010~2014年には5.5%にとどまっています。

バレンタインデーと結婚のきっかけの変化を単純に結びつけるのは早計ですが、戦前は見合い結婚が主流だった日本が、戦後の社会情勢の変化の中で結婚や恋愛についても個人の価値観が変化してきたことがうかがえます。また、実際の取材の中でも年代ごとにお見合い結婚と恋愛結婚の割合が変わっていくのをとてもよく実感します。さらに、これは所感ですが、お見合い結婚と恋愛結婚どちらがいいとか悪いとかでもないということも感じますね。結婚のきっかけよりも、その後の何十年という長い道のりをお互いにどのように思い合いながら歩んできたのかが重要になってくると思います。

みなさんは、ご自分のご両親のなれそめや結婚のきっかけご存知ですか?自分史作成サービス「親の雑誌」では、取材時に、出会いのきっかけや結婚についてもお聞きしています。「恥ずかしいなぁ」「そんなの忘れちゃったよ」と言いながらも、みなさま素敵なエピソードを明かしてくださり、時にはご家族も知らなかった出会いや結婚のきっかけのエピソードをお聞かせくださることもあります。

出会いのきっかけもいろいろで、ひと口にお見合いといっても母親どうしが親友だった、近所の人に頼み込まれた、中にはお見合い希望者が多くて断るのが大変だったというモテモテなエピソードも。人生の数だけ多種多様な出会いの物語もあるのだと、取材の度に本当に実感させられます。

今年のバレンタインデーは、お菓子とお茶を囲んで、親御さんに「なれそめ」を聞いてみるのもいいかもしれませんね。今まで知らなかった新たな発見があるかもしれません。

自分史編集長井戸の写真

親の雑誌編集長 井戸洋希