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親の雑誌ブログ

認知症患者とその家族に寄り添う猫、オスカー

カテゴリー:ブログ

投稿日:2019年01月18日(最終更新:2024年12月09)

自分史作成サービス「親の雑誌」では、これまで650名を超える人生の大先輩たちにお話を聞いてきました。その中には、認知症の初期段階の方や施設で療養生活を送っている方もいらっしゃいます。  

さまざまな状況に置かれたお客様の自分史作成をお手伝いする中で、高齢者や認知症患者のお気持ち、介護するご家族の気持ちについても、より深く知りたいと思うようになりました。

そこで当社では、メンバーが互いに関連する本や映画を紹介し合い、感想や学んだことを語り合うことで、より豊かな知識と心でお客様に関われるよう日々努めております。  

今回は、その中から心に残る1冊「オスカー 天国への旅立ちを知らせる猫」(デイヴィッド・ドーサ著 栗木さつき訳 早川書房)をご紹介します。認知症患者に優しく寄り添う猫

「オスカー 天国への旅立ちを知らせる猫」のご紹介

この本の著者であるデイヴィッド・ドーサ氏は老年医学を専門とする内科医で、アメリカ東海岸のロードアイランド州プロヴィデンスのロードアイランド病院ステア―・ハウス看護リハビリテーション・センターに勤務しています(刊行当時)。  

ドーサ医師が勤務するステア―・ハウス3階には重度の認知症を患う患者さんも多く入居しており、患者さんたちは医師や看護師のケアを受けながら、何匹かの猫と一緒に過ごしています。家族のことや自分自身のこともわからなくなった患者さんでも、猫には親愛の情を見せることがある。その猫の中に、オスカーという雄の猫がいました。オスカーはどちらかというと人に構われるのが嫌いで、放っておかれることを好む猫。実は猫が苦手なドーサ医師は、オスカーにあまりいい印象を持っていませんでした。

あるとき、ステアー・ハウスのスタッフや入院患者の家族の間である噂がささやかれるようになります。オスカーは患者さんの死期を察知することができるのではないか、という噂です。というのも、人嫌いのはずのオスカーが患者さんのベッドに上って患者さんに寄り添うことがあり、程なくして患者さんはオスカーに見守られるようにして亡くなるというのです。

当初は懐疑的だったドーサ医師でしたが、次第にオスカーの能力に興味を抱くようになります。オスカーは本当に患者さんの死期を予知できるのか?そして、能力が本当だとしてなぜオスカーは患者さんに寄り添っているのだろう?ドーサ医師は、オスカーの行動の謎を解明しようと動き始めます。

こうしてドーサ医師は、オスカーに寄り添われながら亡くなっていった患者さんの遺族に話を聴き始めます。本は、ご遺族が語ったエピソードやドーサ医師自身が抱える慢性疾患への不安、認知症と診断されてとまどう患者さんや介護にあたる家族の葛藤が、穏やかで慈愛に満ちた言葉でつづられています。

本の後半では、ドーサ医師もオスカーの特別な能力を信じるようになるのですが、その過程で描かれるさまざまな人生の物語に、そして、患者さんや家族に温かく優しく寄り添うオスカーの姿に、思わず涙することが幾度もありました。

患者さんに寄り添う神秘的で魅力的なオスカーの様子は、本を手に取ってお読みいただくとして、以下に私が心に残った箇所をいくつか引用でご紹介します。

心に残ったシーン ※本からの引用

皮肉なことに、アルツハイマーなどの認知症はその犠牲者から記憶を奪うと同時に、家族や愛する人の記憶からも患者さんの在りし日の姿を奪ってしまう。よく釣りに連れていってくれた父親や懸命になって宿題をしてくれた母親の記憶が、お子さんのなかで薄れていくのだ。そんなとき、人生のさまざまな場面を集めてジャックがつくったような記念の品は、元気だった頃の親御さんを思いだすうえで多いに役に立つはずだ。(p223)
「ドーサ先生、おわかりでしょうけど、母の横にずっと座っていると、考える時間がいやというほどあるんです。だからつい、母が亡くなるときはどんな感じがするんだろうって考えました。母が認知症になってからさんざん罪の意識に苦しんできたので、罪の意識を感じることが生まれながらの権利みたいに思えたほどです。先祖伝来の家宝みたいに、あたしに受け継がれたものなんだって。どうしてもっと早く母の病気に気づかなかったんだろう?育児とフルタイムの仕事と母の介護に充分時間を割き、ちゃんとやってきたって胸を張って言える?そもそも、母をナーシングホームにいれたのは正しかったのかしら?」 「どんなに頑張って手を尽くしたところで、いつもすることは山ほど残っているし、できていないことも山ほどあるんです」(p255)

そして最後に、日々高齢の方たちのお話を聞く仕事をしていて最も共感を覚えたのが、ドーサ医師のこの言葉でした。

……子どもと高齢者では、患者さんの物語がまったく異なる。子どもはいわば真っ白なキャンバスであり、肖像画を描いてもらうのを待っている。まだ人生が始まったばかりの子どもたちを見ていると、自分もまた再生するような気分になれるし、将来には無限の可能性が広がっているように感じられる。いっぽう高齢の患者さんは、いわば色彩豊かな絵画であり、語るべき物語があふれている。ときには接するだけで、患者さんの子ども時代からの道のりがはっきりと浮かびあがってくることもある。そんなとき、ぼくは患者さんの(逝去なさって久しい)ご両親、患者さんが過ごした土地、目にした光景に思いを馳せる。それは望遠鏡の反対側からレンズをのぞきこみ、時間をさかのぼっていくようなものだ。(p15)

まさに語るべき物語が溢れている親御様の人生の物語を、自分史作成サービス「親の雑誌」で、形にされてはいかがでしょうか。

親御様へのご説明や事前準備から私たちがお手伝いいたします。まずはお気軽にご相談ください。

親の雑誌副編集長 長経子

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