『親の雑誌』取材担当者ご紹介Vol.5 髙山愛子
カテゴリー:ブログ
投稿日:2023年05月24日(最終更新:2023年05月24)
親御さまが取材担当者と話をするだけで、文章が完成する『親の雑誌』。
「傾聴をベースにした独自方法論」を身につけた取材担当者がおひとりおひとりのお話をお伺いします。
今回は、取材担当者 髙山愛子をご紹介いたします。
●Profile:髙山愛子(たかやまあいこ)
広島生まれ。大学卒業後、書店員として働く。現在は小説家としても活躍中。『親の雑誌』だけではなくインタビュー社史作成サービス『創業の雑誌』の取材も担当。
――コミュニケーターになったきっかけは?
大学時代の先輩がこころみに勤めていて誘われたことがきっかけです。その少し前に結婚したんですが、同時期に本格的に小説を書くようになったんです。それだけでは収入が安定しなかったことと、まだ子どもがいなかったので時間的な余裕がありました。それで、お仕事させてもらえるのはありがたいと思って、研修に参加しました。私のときは、e-ラーニングの後に、実際に集まって研修するという流れでした。
研修を受けて、人の話を聞く技術があることを初めて知りました。私はもともと、書店員として働いていたんですが、そのときからお客さまの話を聞くのは好きだったんです。時間のある日だと、お客様の話を聞きながら一緒に本を探すこともしていました。書店員をやっていると、「本を探しているんだけど……」と声を掛けられるんですよ。そういうときにお客さまからもらう情報がふんわりしていることがたまにあって。例えば「先週のお昼のテレビで紹介されていた体操が載ってる本ってどれですか?」と聞かれたりするんです。もちろん、それだけではなんの本かわからないので、「どんな表紙だったんですか?」、「何曜日の放送でしたか?」のような質問をします。そうやって情報を引き出して、目的の本にたどり着くのが面白かったですね。『親の雑誌』の取材方法とは全く違うんですけど、お客様の持っている情報を引き出すために質問を工夫する、という意味では似てるところがあるなと思いました。
――小説を書くことと『親の雑誌』の記事をつくることに共通点はありますか?
話のつながりを持たせるという意味では、小説の書き方が生きていると思います。取材中にお話をお伺いしていても、今おっしゃった「おじさん」と、少し前におっしゃった「DIYが得意だったおじさん」は同じ方なのかなとか、そういうことが気になるんです。同一人物なのかを確認したくなります。登場人物の身元がはっきりしている方が読んだときも分かりやすくなると思うので、なるべく確認しますね。違う人だと言われたら、そう書くようにしています。「DIYが得意だったのは、父方のおじさんで、こちらは母方のおじでした」とかですね。
――印象に残っている取材は?
直近で取材させていただいたご夫婦です。ご夫婦の取材(『両親の雑誌』)を担当したのがそれが初めてでした。1日の午前中にご主人、午後に奥さまと分けてお話をお伺いしたんですが、それがとっても面白くて。出会いのエピソードを双方からお伺いしたんですが、ご主人は一目ぼれだったのに、奥さまはそんな感じではなかったそうなんです。同じ過去を話しているのに、誰の視点かによって受ける印象が全然違うんですよ。これは、ご夫婦双方から聞かないと分からないですよね。
今見えているのは、ある側面だけだと思うんです。両親にしても、そのほかの人にしても、私から見える面からしか見えていない。でも取材をすれば、その人から見たその人自身や、過去の出来事を知ることができますよね。それがご夫婦ともなると、同じ過去を共有しているわけですから、面白いんです。1つの出来事をそれぞれの視点で語ってもらうことは、その人を理解するうえでとても大切だと思います。この人はこういう人なんだなって理解する要素のひとつだと思いますね。
実は、私の父の雑誌制作を検討していたんですが、このご夫婦を担当させていただいたことで、「『両親の雑誌』を作らないと!」と思いました。今、写真を探してもらっている最中なんです。自分の両親を理解するためにも、2人それぞれに雑誌を制作したいですね。もともとは、祖母の雑誌を作りたかったんですよ。でも、認知症が進んでしまって、インタビューは難しそうだなと諦めました。だから両親の雑誌は早めに作りたいと思っています。
――ご自身の両親のことを知りたいと思ったきっかけは?
以前からおばあちゃんの話を聞くことが好きでした。小さいころや若いころの話をよく聞いていました。だから、両親の小さいころや若いころの話も知っておきたいと自然と思いましたね。一度、母に出会いの話を聞いたことがあるんですよ。「どうやって出会ったの?」って。でも、話があっちこっちに行っちゃって混乱しちゃって。何度か聞き返して整理しようとしたんですが、あんまり聞き返すと話す方も嫌だろうから途中で聞き返すのをやめちゃいました。それで、これは子どもである私が聞くのは無理だ、『親の雑誌』じゃないとできないと思ったんですよね。第三者じゃないと話を聞いて整理するのって、難しいのかなと思いました。
母が少し前にがんになって、死んでしまうかもしれないと思った時期がありました。母が本当に死んでしまったら存在が消えるわけですけど、その人が生きてきた軌跡も一緒に消えてしまうと感じたんです。でも『親の雑誌』としてまとめていれば、軌跡は文章として残るから、多少は寂しさが和らぐんじゃないかなって。こういう人が私の母として存在していたというのを忘れないでいられる。私が『両親の雑誌』を作りたいっていうのはその意味合いが強いです。私のために作りたいっていう意味合いがとても強いです。だから今回の『両親の雑誌』制作も、「私のために協力してくれない?」ってお願いしたんですよ。実は、うちの両親は『親の雑誌』制作にあまり乗り気ではなかったんですよね。「そんなに語る過去もないし」と言っていました。でも協力してほしいとお願いしたら、「そうやって頼まれたらしょうがないなぁ」と了承してくれました。
今迷っているのは、取材に同席するかどうかなんです。ご家族がいらっしゃると照れてしまわれる親御さまもいらっしゃいましたから。
――照れてしゃべりにくいという方もいらっしゃいますね。とはいえ、親御さまの半生を聞くというのも、なかなかできない体験なので同席をおすすめしています。また、親御さまにとっては話すまでもないと思っていることでも、お子さまからすると聞いてみたいことがあったりします。同席していただくと、そういうお話をお子さまから振っていただくこともできます。そこから話が広がることもあります。話しにくいことがあったときは、プランにもよりますが、お電話取材のときにお伺いすることもできます。
確かにわざわざ取材に来た人に話すような内容じゃないって思ってしまわれたり、そのとき抜け落ちていて、しゃべらないこともあるかもしれないですね。
――取材中に気をつけていることは?
2名体制でお伺いすることもあり、私は訪問取材ではあまり緊張しないんです。むしろ、お話を聞いているのが楽しいという気持ちが強いですね。どちらかというと、電話取材のほうが緊張します。回数をこなす中で徐々に慣れてはきたと思いますが、いまだに緊張します。でもよい意味での緊張は必要かなと思っているので、これからもずっと緊張しながら、丁寧にお話しを伺っていきたいですね。
疑問が出たときに、聞けそうならすぐ聞くように気をつけています。難しそうならどこかにメモしておいて、あとから確認することもあります。やっぱりつながりが気になるので。あとは笑顔で、あなたのことに興味があるんです、という態度を示すことでしょうか。
書くときに注意していることは、お客さまの言葉遣いをなるべく残すことですね。お客様が、このときこんなふうに言われたんだよってそのセリフをおっしゃるときがあるじゃないですか。例えば「助け合える人を作っておくことが大事なんちゃうんかな」って言われたとしたら、そのまま書くようにしています。地域ごとに言葉も違ってくるのでそこは残したいと思っています。
――社史作成サービス『創業の雑誌』を担当する際に意識していることは?
創業の雑誌は、会社への思いに重点がおかれているので、読む人が違うというのが一番大きいと思っています。私は、『親の雑誌』は基本的にお子さまやご親戚の方が読むもの、『創業の雑誌』は、会社の方たち、取引先の方も読むものだと想定してます。そこは大きな違いだなと思います。なので、『親の雑誌』はお子さまが読むこと意識して、あえてしゃべり口調を多く残した文章にしています。話し言葉をなるべく残すというか。読んだ方が「お父さんって、こんなふうにしゃべってたよね」って思い出しながら読んでもらえたらいいなと。『創業の雑誌』は『親の雑誌』に比べて多くの方が読むと考えて、原稿化するときもわかりやすさを優先しています。
―髙山さんにとっての『親の雑誌』とは?
私にとっては、やっぱり記録です。ある人間が存在してきた記録。そして残しておきたいもの。もっと時代が進んだら、3Dのホログラムみたいな状態で親がでてきて喋ってくれたらいいですよね。まだその技術がないから、紙の雑誌になってるって気持ちです。
取材担当者 髙山愛子からお申込者さま、親御さまへ一言
私には、97歳になる祖母がいます。私が知っている祖母は、尾道で駄菓子屋をやっている優しいおばあちゃんでした。でも何年か前に祖母の昔の話を聞いたことがあったんです。そのときに、祖母が昔、郵便局員やっていたこと、もともと大阪に住んでいたことを知りました。ずっと「広島のおばあちゃん」だと思ったんですけど、全く違ったんです。びっくりしましたね。若くて綺麗な祖母が、ぱっと目の前に現れたような心地でした。
祖母にしても両親にしても、私が会った時点、記憶がある時点からの存在でしかなかったんですが、当然それより前の人生があるんですよね。私と出会う前の人生があったから、今のその人になっている。それを知らないまま別れてしまうと寂しいなと思ったんです。あんなに大切な人のことを半分も知らないまま別れたくない。いつか別れるときに、私は大切なあの人のことを80パーセントくらいは分かっていた、そう思えるように『両親の雑誌』を作っておきたいと思っています。
『親の雑誌』に興味を持っていらっしゃる方にも、大切な親御さまのことを知るために制作いただければと思います。
『親の雑誌 電子版』の紹介
『親の雑誌 電子版』は、家族のための自分史作成サービス『親の雑誌』から生まれた、人々の人生を綴ったデジタルメディアです。
『親の雑誌』を作成した方々の人生を、親御様の生きてきた人生の価値を、離れて暮らす家族や親せき、友人と共有することができるだけでなく、さらに、いろいろな方に読んでいただけるよう掲載しています。 全ての人にはかけがえのない価値があり、その人が歩んできた人生は、たくさんの出会いで誰かの人生とつながり、この時代を織りなしています。
お一人お一人が生きてきた人生に、ぜひふれてみてください。