『親の雑誌』スタッフが話す「介護」と「傾聴」
カテゴリー:ブログ
投稿日:2021年01月27日(最終更新:2021年04月09)
田中小夜子さんの介護体験記
『親の雑誌』スタッフが親御さんのお話を伺う前に身に付ける「聞き上手(傾聴)」のスキル。スタッフの一人、田中小夜子さんは、お母様との会話にむずかしさを感じていたときに、「こころみ」の「聞き上手(傾聴)」研修を受けました。そこで得た傾聴のスキルが、お母様との関係、介護に良い変化をもたらしたと話します。田中さんに「介護」と、介護の中で「傾聴」や『親の雑誌』の作成がどんな影響を与えたのか、お話しいただきました。
●Profile:たなか・さよこ 東京都出身。北海道うまれ。遠距離から同居まで10年以上にわたり親の介護をしてきた。6年前、父が他界。残された母との会話にむずかしさを感じていたとき、兄が出演したテレビ番組「ワールドビジネスサテライト」が縁で、自分史作成サービス『親の雑誌』を提供する会社「こころみ」と出会う。親御様の大切な思いをかたちにする、この仕事によろこびを感じている。
傾聴を使った会話で変化した母との関係
母の気持ちを受け止められていなかった自分に気づく
わたしは10年以上にわたって心臓病の父と身体障害者の母、の両親を介護してきました。父は心臓の持病から、晩年、ペースメーカーを入れ、二度目の脳梗塞で意識障害となり、入院生活になりました。母は事故で右足に人工股関節を入れたのが最初で、ほかに二度の大病を患って。本人の意思で自宅療養をし、最後の最後に、入院して日本の医療の恩恵にあずかりました。
父を看取ってしばらくしたころ、わたしは母の介護をめぐって悩むようになったんです。母は、幼いころから優秀だった兄をとても大事にしていて、わたしのことは「がっかりさせられるわ」が口癖でした。クッション役だった父がいなくなって、頼りの兄は遠い県に赴任していて。わたしは母とうまく会話する自信がありませんでした。
そのころテレビでたまたま「こころみ」のことを知りました。「聞く力(傾聴)で会話する」というのが新鮮で。それで「こころみ」のコミュニケーターに応募し、「傾聴」の研修を受講したんです。
傾聴の研修で、いろんなバリエーションの「聞くコミュニケーション」を体験したら、気づきがいっぱいで。帰宅後、傾聴技術の基本のひとつで「感情に焦点をあてて繰り返す」というものを母との会話で試したんです。話の中で、感情を見つけるごとに「不安になったんだね」とか「モヤモヤしたんだね」と相づちをうって。ふっと母の表情に動きがあったのを感じました。効果抜群でした。
それまで母の気持ちを受け止められていなかったのだと思います。
傾聴ができていないと思ったときに伝えられた
「慢心するより、できていないと思うほうがいい」という言葉
「傾聴」の研修を終えたのち、『親の雑誌』のスタッフとして働き始めました。そのころ母は、兄やヘルパーさんに「小夜子が変わった」と話していたようです。
ただ、その母への傾聴が10分で途切れてしまうんですね。相づちを打っていたのに、話の内容から途中でわたしの意見を言ってしまって。「お母さん、わがまま言わないで。ヘルパーさんは、家政婦さんじゃないです」とか。10分以上がんばると、こちらも疲れてしまって。
そんなとき、「こころみ」の代表の神山さんにお聞きしたことがあります。
「できた人間ではないせいか、介護で母との会話に傾聴を使っても10分でこと切れてしまうんです。このまま進んで大丈夫でしょうか」と。
神山さんの答えは明快でした。「10分でけっこうです」とおっしゃいました。「四六時中、傾聴ができると思ったらそれはとんでもない間違いです。もし、10分よりも長くできたら、それは本当に傾聴できているかが怪しいかもしれません。全力で傾聴したら、10分が限界ですよ」と。
人間的にできていないことについても神山さんが、「それこそ、本当にこころみが望むものです」と言ってくださって驚きました。「こころみの『お話を聞く』は『聞かせてください』であって、『聞いてあげます』ではないんです。性格や年齢に関係なく、その立ち位置で人間はどうしても上から目線になりやすい。だから『傾聴ができる』と慢心するより、自分はできてないんじゃないかと悩む方がいいんですよ」とのお話でした。
「常にその気持ちを忘れないでください。10分間、頑張ってやっていただければいいですよ」と言われたときは、目のまえの霧がパーッと、晴れたような気がしました。
同じ話をくり返す母に、傾聴の基本姿勢で接する
もうひとつ、介護に関係して傾聴の質問をしたことがあります。「同じ話を何度もくり返す」というものです。介護のときに悩まれている方も多いのではないでしょうか。
母との会話で一番悩んでいたのが、このくり言です。一度聞いたことのある内容を何度も聞くのは、苦痛でした。わたしも娘に「それ、聞いた」なんて、言われるんですけど(笑)
傾聴の研修のときに、「もしもお客さまにそういう方がいらしたときは、どうしたらいいでしょう?」と質問しました。そうしたら神山さんは「いいんです、何度でも話していただいて、何度でも聞いてください」と。衝撃的な回答でした。本やテレビ、ネットや友だちとの会話でも「同じことをくり返して話すのは、悪いこと」というとらえ方がほとんどなんです。もちろん、わたし自身もです。
人間関係の本で、「そういう人には指摘してやめさせましょう」というのもありました。そのことをお伝えすると、神山さんは「『今、言いましたよ』なんて指摘をする必要はありませんよ」と、きっぱり言われて。「ご本人は、話したいからお話ししている、それだけなんです。一回目に聴くのと同じような姿勢で聞くことだけを心がけてくださいね」と。
わたしが「でも、同じことをくり返して話すのは、いいことではないですよね?」と言うと、びっくりされた顔をして「そんなことはないですよ。何も悪くはない」と言われたんです。神山さんの言葉は毅然としているけれど、温かいものを感じました。
おもしろいことに、「同じ話を何度もくり返すことは悪いことだととらえる必要がない」と思ったら、問題が解消しました。母がくり返し話しても苦にならず、母も受け止めえもらえたと感じるのか穏やかになって、会話がスムーズになりました。
無理に直そうとするのは、ひとつの価値観の押しつけだったと気づきました。価値観はいろいろあっていいんですよね。
介護を体験して感じた人とつながる大切さ
母から伝えられた「あなたはよくやった」
最後は家族から離れ、単身で実家に移り住んでの24時間介護をしました。これは家族の協力と、最後まで寄りそってくださることになるケアマネ―ジャーさん。ヘルパーさんを始めとして多くの方に助けていただいて、できたことです。
母のおむつ交換から摘便までなんでもしました。夜中、一時間おきに起きて発熱している母に水分補給したり、汚れまみれのシーツを洗ったり。
ただ、ひとりでやるのは無理ですね。わたしの後頭部には、いつのまにか円形脱毛が広がって、オーストラリア大陸のようになっちゃって。もうダメだと思って、白旗をあげたんです。ケアマネージャーさんがヘルパーさんの人数をめいっぱい増やしてくださいました。
おかげでわたしは、昼間、1、2時間の空いた時間を利用して、在宅でこころみのお仕事をすることができました。「そんなときも働かなくちゃいけないの?」と言われたことがありましたが、逆ですね。こころみにお仕事をいただけて、救われたんです。24時間のうちに母以外のことを考える時間があると、こころが休まる感じがしました
こころみで社会とつながることができる。夜を越えれば、ヘルパーさんが来てくれる。精神的におかしくなりそうだったらケアマネージャーさんに相談できる。これは最強の支えでした。
よく、介護の事件が報道されますけど、他人事には思えないです。周りの人に支えられて、母とわたしは事件にならずに済んだんだと思っています。
まわりのひとの助けを借りての介護でしたが、母は「あなたはよくやった」と言ってくれました。母の口からそんなことばが…と思うとびっくりで。ヘルパーさんからも「お母様が『あの子を見直したわ』って言っておられましたよ」と教えていただいて、母が変わっていくのを感じました。
わたしがどんなに疲れていても、お構いなしに夜中に何度も起こす、そういうわがままな母でした。それが自分で水が飲めなくなって、発熱してのどが渇いても、いつしか起こさなくなりました。介護中は夜中に熟睡したことがなかったので、隣で寝ていて粗い呼吸音に気づいて飛び起きて。わたしが「なぜ、起こさなかったの?」と聞くと、「寝かしておこうと思って」と。母の額に氷を当てながら、どうしたんだろう、と思いました。
少しずつ、終わりのときに近づいていたんですけど、そのときはまだ、大丈夫と思い込んでいました。
ひとそれぞれがわかったから、
簡単には使わない「わかる」ということば
今は親の介護ができたことは、とてもありがたいことだったと感じています。介護がなければ、母とこころがつながることは無かったと思いますから。ただ、そう思うようになるまでには時間がかかりました。
介護のつらいところは、終わりがみえないところですね。介護の終わりを望むなら、それは老いた両親の死を望むことになってしまいますから。
「あのときは、地獄のときがあったな」
介護を終えて三年目にして初めて、夫がふともらしたことばです。愚痴ひとついわず、介護を応援、協力してくれた家族のことばが一番当時をあらわしていると思います。
介護を体験して簡単に「わかるわかる」と言わないようにもなりました。ひとはそれぞれ、だからと。まだまだですが、なるべく軽はずみな言葉を言わないように、こころがけるようになりました。
介護を通してわたしは、ひととひとのつながりをとても大切に思うようになりました。ほんとうに多くの方の支えがあって、ここにいます。
これらのことは『親の雑誌』につながることだと思っています。
親の雑誌スタッフ 田中小夜子