
私の人生、良かったですよ。この仕事をやれて良かった。
平成30年4月発行
寺田芳雄
滋賀県・昭和20年生まれ
人物紹介
幼少期から、アルバイトをしながら勉学に励み、常に優秀な成績をおさめてきた。 日銀へ就職するも、かねてからの夢であった公認会計士の資格を取得し、独立。生涯のベストパートナーとなった妻と共に、充実の日々を過ごしてきたと語る寺田芳雄さん。
インタビュー記事より
日銀入行、妻との出会い
小倉先生から日銀に行ってくれないかと言われたんです。先生が就職の係をやっていて、何人か日銀によこしてくれないかと言われたんでしょう。そういうときは、金融論などのゼミからいいのを1人送ってくださいよと言われるのが普通でしょう。だけど先生もちゃっかり自分のところから入れようとしたんですね。日銀から試験を受けに来いよと言われてるだけで受かるとは限りませんから、じゃあ取りあえず受けようと。大恩のある小倉先生からの話ですから、断るわけにもいかなかったんです。でも、怒ってた人もいたんですよ。山岳部に金融論をやっていたやつがいて。ホントはそいつが行くべきですよ。だから、気を悪くしていたと思うんですよね。私は原価計算だったから、今から思えば、日銀から少々変わったのを送ってくれとでも言われたんでしょう。その年は変わったやつが多かったから、人事部は失敗したと思ったんじゃないですか。それからは元に戻したようです。お父さんが頭取だとか、そういう人にね。だから、私の年の人は辞めていった人も多かったです。でも私はこれ、断れないでしょう。本当だったら自分で選んだ会社を受けて「あー落ちた」なんて言ってたでしょうけどね。先生は、私のためじゃなくて、学校のためにルートを作りたかったんですよね。だから予感はしてました。いずれ辞めるんじゃないかな、と。本店での面接なんて、聞かれたこと全部答えられない。金融論なんて知らないから。吉野俊彦さんっていう、日銀で理論家で通った人からの質問も「わかりません」で、2、3分で終わっちゃった。小倉先生に言われなければ、日銀なんて入らなかったですよ。日立製作所とかに行ってたと思います。なにしろ原価計算ですから、工場に行ってたと思いますよ。でも、そこもつまんないとか言って早く辞めてたと思いますけどね(笑)。
入って3カ月間、本店研修を受けて、函館支社に配属されました。ここで妻と知り合ったんです。私はもう仕事をやる気がないから、出掛けてくると言って外で寝てました。だから、上司の評価は悪かったですね。妻はね、一番良かったんですよ。気が付く女性だったし、男はそんなことやられると、乗せられちゃう。気を遣ってくれただけかもしれないのに、好かれてると思っちゃうんだよね。結婚してよくわかったけど、彼女は計算とか事務とか抜群です。それは本当に良かったですよ。気の付く女性って、そういうものでしょうけど。さっと気が付く、それが頭がいい証拠ですね。私は、そういう点では頭が悪いんですよ。
函館支店にいるときに結婚して、本店に異動したときに一緒に来ました。函館支店では、仕事はしないで結婚だけ。奥さんを見つけに函館に行ったというか、結果としてね。目的としては、仕事はゼロ。デートはものすごく行きました。だって仕事してないからね。給湯室で声をかけて「今日はどう?」なんて言ってましたよ。デートでよく行ったのは函館山です。立待岬の五島軒ってレストランに入ると、私は100円の定食。なのに女房は、150円の食べるんだよね。私が払ったと思うんだけど、財布が大変だったね(笑)。デートは町の中や山を歩くだけでしたけど、海が見えて素晴らしかったです。日銀時代は自分のしたいことだけしてましたから、楽しかったですよ。
取材担当のコメント
自ら人生を切り開いてこられた方ならではの力強さとしなやかさを感じる取材となりました。目標に向かって一歩ずつ進んでいくお姿は、ご趣味の登山と通じるところがあるのではないでしょうか。
ご本人の感想(お手紙から)
これを読むと、私の顔つきや体つき、生き様、人生観、これからの生き方まで想像できるようです。
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