幸せってね、どこにでもあるんだよ。
平成29年4月発行
小俣文宣
千葉県在住・昭和21年生まれ
人物紹介
新潟県の中郷村で生まれ、大自然の中でたくましく育った幼少期。
東京で父が始めた店を継いだこともあり、地域の様々な活動に積極的に参加。
平成8 年に市議会議員選挙に初めて立候補し、見事当選。地域の発展に貢献してきた。「幸せってね、どこにでもあるんだよ。」と語る小俣文宣さん。
演劇に打ち込んだ青春時代
高校は、忍ケ岡高校。「学区一番の上野高校に行く力はあるけど、君には合わないよ。いい学校紹介してやるよ」と先生に言われて入った。6クラス中2クラスが女子クラス、4クラスが共学。人を蹴落とすこと、もまれることがない。先生のこの言葉が、今後の人生を決める第1歩、大きな転換となった。親も「先生が言うならいいんじゃない」と言ってましたよ。先生には、とても感謝してる。先生に、「榊原先生がいる。その先生を訪ねるように」 と言われた。榊原政常先生は、高校演劇の権威。学校は高校演劇が盛んで、東京大会優勝の常連。学校に入ったら、榊原先生は、ほかの高校に校長として転勤していたけど、演劇指導で来てたりとかしてた。演劇で、発声練習でなまりを治しましたよ。初めは裏方、そのうち舞台に出て、卒業時には脚本を書いてた。高校ではずっと演劇やってて、勉強してなかったですね。
大学は早稲田を受けました。吉永小百合さんがいたから。小百合さん文学部ですけど、僕は政経。でも、落ちました。そこで世の中甘くないことを学んで、早稲田予備校に入った。予備校に通いながら「DEMON」という同人誌を作りました。次の年にも受験しましたが、また落ちた。本番に弱いですね。さすがに2浪はまずいと思い、2 次募集している成城と成蹊を受けた。ほかのやつは、上智、早稲田、学習院などに受かってましたね。そのうちの1人が持っていた「蛍雪時代」という受験雑誌を見て、成蹊の政経学部を受けようとしたら、「終わってる」と言われ、確認してみたら雑誌が去年のだったの。文学部で2次試験があるというから受けてみました。問題は3問だけで論文だった。これはもうダメだと思い込んで、上越市直江津に行ってたら、おふくろから「成蹊に合格したから手続きするよ」と連絡があった。2 次募集は5 人しか受かってなかった。どうやら早慶レベルだったらしいね。この時期に同人誌を一緒にやっていた友人の鈴木賢太郎が一つの分岐点。その大学の後輩が、私のかみさん。
取材担当のコメント
今回は息子様からお父様への贈り物として「親の雑誌」をご利用いただきました。
和服をビシッと着こなし、優しい笑顔でまっすぐにいろいろなお気持ちや思い出を語られる様は、まさに「温厚篤実」そのもの。
地域のため、家族のために働き続けてこられた生き様に、とても感銘を受けました。
この雑誌を読むご家族やご友人の皆様にも、あらためて小俣さんの生き様がしっかりと伝わったことと思います。
雑誌の完成後には、ご家族やご友人にも好評だったと感想をいただくことができ、担当者として、私もとても嬉しい気持ちになりました。
ご本人の感想(お手紙から)
友人・知人との絆が深くなりました。
75歳を区切りの記念にしたい(第2号を作りたい)
ご利用者様の許諾をいただいて掲載しております