これまでの人生でこんなに語ったことはなかったです
平成28年3月発行
佐藤エイ子
東京都・昭和7年生まれ
人物紹介
小さいころから母の代わりに働き、結婚してからは夫とともに開拓に勤しむ。
東京に出てからも夫の職場の飯場、魚屋経営、高齢者住宅など様々な仕事に打ち込んだ。
母として3 人の子ども、里親として10 人の子どもを育て上げた、小柄な中に溢れるバイタリティを持つ女性が佐藤エイ子氏だ。
結婚と開拓と
19歳までは家業を手伝ってました。父は帰ってきましたけど、母が病弱だったからね。19歳から結婚前の1年間は、本家様に勤めに行きました。そこでは、田んぼ以外の仕事もすべて、家の仕事もやらなきゃいけない。でも、ご本家のおばあちゃまがとっても良い方で、いつも枕並べて寝食共にしたのが思い出です。ご本家のおばあちゃまと、ご当主とおばさん、若夫婦と子どもたちと暮らす1年間でした。
昔、山火事があったところが開拓地になったんです。開拓に行くと土地がもらえるからということで、主人の村から主人ともう1人が入ったんです。開拓するのは大変だからと結婚の話が出たんですね。ご本家のおばあちゃまが私を主人にと、主人の父に話してくださったんですね。それで縁がまとまって結婚したんです。主人は小学校の同級生なんです。ご本家での1年の翌年に結婚して、開拓地に行ったんですが、そこは枯れすすきの荒地でした。黒いものがあって、何だろうと思ったら数年前に焼けた松の根っこがあちこちに残ってるんです。取らないと畑もできません。それを掘り出すのが大変でした。主人と2人で一生懸命やりましたね。
主人の実家にもしょっちゅう呼ばれました。冬なんかは開墾できないから、子どもが生まれる前は、仕事がいっぱいあるので、行って手伝ったんです。1日いっぱい仕事してきて、夕飯食べた後、みんな休みますよね。でも私はね、休めなかったんですよ。主人の母の身内に豆腐屋さんがいて、村には豆腐屋さんもないし、豆腐を作ったら村の人たちも喜ぶんじゃないかという話が出たんですね。主人の母と兄が主になって、豆腐の機械を準備したんです。ご飯食べた後、主人の母が大豆をすりつぶす機械のスイッチを入れて、自分たちは寝ちゃうんです。だけど、豆腐を仕上げるまでは、私の仕事になっちゃったんです。お湯もありませんから、使った材料を全部水で洗ってね。終わるのが夜の11時半ごろで、それからやっと寝るんです。
取材担当のコメント
「明治生まれの母だから、女は一歩下がって、話なんてするもんじゃない。そう言われてきました。だから、これまでの人生でこんなに語ったことなかったです。今日が人生で一番、自分のことを話しました」インタビューを終えると、エイ子さんは涙を浮かべながらそう言って喜んでくれました。
完成した雑誌はもちろん喜んでいただきましたが、あの日のあの時間を過ごせたことを、担当としてもうれしく思います。
ご本人の感想(お手紙から)
「何度も何度も読ませていただきました。私は今まで子どもたちや孫たちにも自分が生きてきた状況等はあまり話したことはなかったように思います。
東京に移住した理由は息子さえも知らなかったと思います。このような素敵なご本をのこさせていただけますことは、本当にうれしゅうございます。」
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