みんなが楽しい人生を
母は長男をなくしていたので、幼いころから僕のことを可愛がってくれましたね。でも、いろいろと心配をかけました。家に帰らず、友達の家に泊まって、そのまま仕事に行っていましたから。おやじにはよく叱られましたが、きょうだい3人を苦労して育ててくれたと感謝しています。両親とも進学や就職に関して、反対することはなく、好きにさせてくれていました。2人も子どもを亡くしていましたので、健康だったらそれでいいと思っていたのかもしれません。両親ともに最期はちゃんと見送れたのが、せめてもの親孝行だったかなと思っています。
嫁さんとは、地域の青年団のお祭りで知り合ったんです。その後、彼女の家に入り浸るようになりました。小さな離れがあって、その部屋でさだまさしや井上陽水などのレコードを聴いて、休みの日はドライブに行ったりしていましたね。結婚して6年ほど僕の実家で親と同居した後、960万円借りて近所に家を建てました。僕は貧乏が嫌だったので、必死で働きました。嫁さんも国家公務員で結婚後もずっと働いていたので、夫婦で頑張って5年で完済することができました。僕は水上スキーなどで海に出かけることが多かったけど、嫁さんは波を見ても酔う人だったので、一緒に海に行くことはなかったですね。いつもお留守番。「亭主達者で留守がいい」って感じだったんじゃないかな(笑)。編み物が好きで、僕のベストやセーターをたくさん作ってくれました。
子どもたちが小さいころは、よく家族で出かけましたね。サファリパークや長島スパーランド、夏は海水浴場、アドベンチャープール、冬はスキーなどに行きました。
長男の加寿也は夜泣きもしないし、本当に育てやすかったです。それに勉強が好きな子でした。机に向かって必死に勉強するという感じではないけど、テレビを見ながらでも勉強できる子で、成績は良かったです。塾は高校3年生のときに「もうあの塾で学ぶことはない」と言って辞めていました。それで独学で京都大学に受かったんだから、その判断は正解だったんですよ。卒業後は外資系の会社5、6社で働いて、自分のやりたいことが見つかったんでしょうね。起業して、保険会社の代表取締役をしています。
長女の亜紀子は、あまり勉強はしなかったですね。そのわりには中学校のころは勉強ができて、高校に入学したときはクラスで2、3番ぐらいの成績だったんじゃないかな。大学に行く気はなかったようで、卒業してから病院に就職し、介護士の仕事をしていました。すぐに彼氏ができて、20歳そこそこでおめでた婚をし、僕は早々におじいちゃんになったんです。今ではその孫が高校生です。
次女の沙也加はアスリートでしたね。中学校のときに走るのが速かったので、バレー部だったのに、陸上の大会があると頼まれて出場していました。2年生のときに陸上部の先生に勧められて、本格的に走り始めました。当時、三重県内の3000m、5000mでは一番速かったんです。高校も陸上の特待生で入学して、高校でも三重県で一番でした。高校卒業後は、実業団に入り、有名な選手とも一緒に練習していました。でも、力の限界を感じたのか、2年ほどで陸上競技を辞めると決めてね。そのまま実業団のある企業で働くこともできたんですけど、陸上をするために入ったといって退社しました。その後は介護の仕事をして、愛知県の鍼灸師の学校に行って免許を取ったんです。今は、ケアマネージャーをしながら、鍼灸治療との2本立てでやっています。今年入籍予定なんですよ。
僕も親に自分の好きなようにさせてもらったから、子どもの進路に口を出すことはなかったですね。それぞれの人生だから、自分がいいと思ったことをしてほしいと思っています。
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