一番売れる会社になったんですから
家内が「主人は私と結婚したのが人生で一番良かったってよく言うんですよ」って言ってたって?何でそんなことしゃべったんだろう。まぁ、それはそのとおりですけどねぇ(笑)。家内の第一印象ですか?兄貴が僕を連れて行って、家の近くの床屋さんに行ったんですよ。それで散髪してるときに呼んできたんですよ。散髪してるから、声だけしか聞こえないの。はっきり覚えてないけど、見合いとか結婚する対象として知らされていなかったんですよね。声は聞こえましたけどね、印象は特にどうってことない。知らされてないんですからね。感じは悪くなかったねぇ。お見合いのあとは何度か会ってますよ。小樽ですけどね、公園に行ったね。うん、そうだねぇ、いいと思いましたよ(笑)。
結婚はね、シベリアから郷里の伊達に帰って、それから兄を手伝って仕事したんですけどね。兄嫁と兄貴が、僕に嫁さん見つけなきゃならないってね。一生懸命になってたんだけども、僕は結婚する気ないから、20件近く話があったんですけど断ってたの。1回も会ってない。うんって言わなかったからね。だって、帰ってきたばかりで半年もたっていないし、結婚なんて思いませんもの。兄貴ですから親代わりですよ。兄貴は責任感じてたんでしょうけどね、僕は結婚する気なかったからね。それが、家内のときはね。兄貴に連れられて床屋さんに行ったんですよ。家内の実家の近くの床屋さん。そのときに呼んだんです。お見合いでは、いいと思いましたよ(笑)。
結婚してからはね、そうですねぇ、どうですかね。僕にはちゃんと、女性とどうこうってことなかったからね。仕事を熱心にやる方ですからねぇ。全くなかったわけじゃないけども(笑)。恋愛といえば、北の誉で働いてたときに、樺太の支店に転勤して庁員にいろいろと配給する購買部の責任者になったんですよ。私、そのとき20歳前ですよ。それが経理の責任者になったんです。そのころ、購買部に勤めてた女子の職員というかな、その人とは公園に行ったりしましたよね。今の時代と違いますからね、公園に行ったり、そんな感じでしたね。
これからしてみたいこと
これからしたいことはね。年が年ですからね。毎日は会社に来てますけど、仕事なんかしてませんよ。一応、会長という立場に立ってますけどね。今いるのは札幌市中央区北一条の札幌市の中心部ですけど、自宅は琴似ですから通ってますがね。一応責任者。自分の部屋があるからそこに収まってるだけ(笑)。仕事はありませんよ。
札幌に出てきて、僕の人生はガラッと変わりましたよね。だって田舎にいたって仕事なんかないですから。伊達は木材の仕事で製材工場とかあって、いろんな人いましたけれどね。戦争で仕事がなくなってからは伊達にいても、わが家の方には仕事がないわけです。琴似は、今では自分の故郷みたいになりましたね。
琴似は昭和23年の7月かな、昭和24年くらいからだったろうか、そのときはゼロスタートですからね。店なんかもないですから。たった1人、兄を頼って田舎の伊達の方から出て来たでしょ。たった、僕1人。兄貴はそのとき琴似で瓦工場やってたんだけど、北海道はトタン屋根ですから戦後は瓦が売れなくなって、商売が立ち行かなくなってね。昔は木材の仕事で製材工場やってたから、建材店を始めたんですよ。私が帰ってきたときに、2人でね。昔の仕事に戻ってやろうということに、話が決まったんですよ。
琴似は、最初は札幌に含まれていなかったんです。あとから札幌市と合併したんです。琴似は早くから開けていた町なんですよ。琴似が私のスタートなんですよね。裏通りの方で始めたんですが、その後、土地を買って表通りに出たんです。琴似に同業者が10社くらいできたんですが、一番最後にできたうちの会社が、一番売れる会社になったんですよ!現在は建材店の跡地に、兄が「ホテルヤマチ」を建てて、琴似の皆さまに喜ばれているんですよ。
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