自分史作成サービス『親の雑誌』の記事をお客様の許可を得て掲載しています

THE御園次雄

令和3年12月発行 / 福岡県在住・昭和3年生まれ

御園次雄の“幸せ”に迫る

 24歳から92歳まで、同じ会社で仕事をやりとげたことが、自分の幸せだと思います。そんなふうに頑張れたのは、初代から4代目の社長まで、本当に私を大切にしていただけたからです。初代と2代目は、弟のようにかわいがってくれました。3代目、4代目も先代の社長の気持ちを受け継いでくれたので、私はこれまで幸せに頑張れました。

 70年の仕事の間には、いろいろなことがありました。入社時は数十人だった社員が、退職するころには300人になりました。今までずっと私は真面目一本で、幸せに過ごすことができたと思います。

 私の真面目さは、母から受け継いでいます。母は早くに夫を亡くし、私たちきょうだいは片親となりました。母には相当な苦労があったと思いますが、「悪いことはせず、真面目に生きろ」と私たちを育ててくれました。

 昭和の終戦前後、日本は物資も食べ物も豊富にはありませんでした。母はお金を稼ぐために、1人で薪となる木をとってきて、風呂屋に売りに行っていました。冬の寒いときでも、わらじや下駄ひとつで、畑を耕し、イモを育て、お金を稼いでいました。お金がないから足袋も履けず、足の指が霜焼けになって、ただれていたのを覚えています。田んぼができるまでは、私たちは、カボチャやヨモギの葉などを食べていましたね。米粒を食べることはなかったですよ。そうして母は私たちきょうだい4人を育ててくれました。そのありがたみを感じています。

 貧乏人の子どもたちはみんな頑張ったんです。きょうだいみんなで母を手伝いました。私も小学校1年生くらいから手伝っていましたね。田んぼで米を、畑で野菜を作って、それを売って生活していました。きょうだいはみんな真面目に育ったと思いますよ。

これからやりたいこと

 今は100歳まで生きる時代です。私は現在93歳。これから7年をどう過ごすかを考えています。今年(令和3年)3月までは会社にいたので気を張って頑張っていたのですが、今は自由にできるから気が楽になってしまって、最近体がフラっとすることがあるんです。日によってふらつきが異なり、調子がいいときは大丈夫なんです。健康に生きるために何をするか、それはこれから考える予定です。

 私は旅行が好きなので、日本国内は北海道から沖縄まであちこち行きました。でも、外国旅行にはあまり出かけたことがなかったから、世界中を車で回るという夢はあります。ヨーロッパに行ってみたい気持ちもあるけれども、今、行ってみたいのはハワイかな。チャンスはあると思うんですが、ふらつきが心配なので、健康でいられるようにしていきたいですね。

Family’s Photo

ご家族メッセージ

いつも本当にありがとうございます。無事に完成しました。
70年以上の会社員生活お疲れ様でした。じいちゃんは私たちの誇りです。 あなたの「想い」「生き方」を後世に受け継いでいきたいと思います。
最大の敬意と感謝を込めてこの本を贈ります。

御園拓也より

1 2 3 4

\ この記事が良かったらクリック! /

コメント欄

コメントを書く