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THE知久 進

令和5年12月発行 / 茨城県・昭和10年生まれ

もし、またいつか出会ったら

 家内とはお見合いでした。紹介してくれたのは、おふくろの妹でしたね。当時、おばの旦那は私が勤めていた会社の同列会社に勤務していて、社宅に住んでいたんです。その社宅には婦人部というものがあって、おばはそこの役員だったんですね。その婦人部で盛んだったバス旅行で、よく観光ガイドを務めていたのが、私の家内になった節子さんでした。

 ある旅行のときに、おばが節子さんと同じ部屋に泊まる機会があったそうなんです。そのとき、お化粧をする彼女が広げた新聞紙の上に座っているのを見て、いまどきこんな若い子がいるなんて、と思ったんだとか。それで、節子さんにお相手がいないことを確認した上で、お見合いということになったんですね。

 でも私は、お見合いだとは知らされずに呼び出されたんですよ。当時はアイスホッケーの合宿中だったんですが、ちょっと来いと呼び出されておばの社宅に行ってみたら、彼女が座っていました。

 家内とはそこで初めて出会って、帰りはバス停まで送って帰りました。次に会ったのは2月の初めでしたね。アイスホッケーの北海道遠征があったので、私が彼女の実家にごあいさつに行ったんです。そのときはまだ結婚は決まっていなかったんですが、帰ってきて、どうするっていうことになりました。そこで私は、良くも悪くもないからいいよってことで、結婚することになったわけです。

 でも実は、そのあと一悶着あってね。というのも、私は職場の上司夫婦に仲人を頼んでいたのに、節子さんの実家が婦人部の会長さんに仲人をお願いしてしまったんです。勝手にそんなことをされて、私は頭に来ちゃってね。結婚を取り消しにしてくれと言いました。でもそれはとんでもない話だ、ということで私の父とおばの旦那が職場まで訪ねてきて、説得されました。

 結婚当初は、共稼ぎで働いていました。あとで聞いた話ですが、家内は勤めていたバス会社では、トップクラスのバスガイドだったようですよ。今の上皇様が戦後に南間ホテルへ行幸されるというとき、バスガイドを務めたのもうちの家内だったそうです。

 家内は昭和39年に長男を出産して、40年に退職しました。そのあと、社宅の電気メーターの検針の仕事を始めて、それはずっと続けていましたね。社宅がなくなったあとは、電力会社の検針員として、バイクで市内あちこちの家庭の検針をしていました。ですから家事は分担でしたよ。互いにやるべきことをやっていました。2人ともずっと、働き詰めでしたね。

 結婚したてのときは、社宅に入居するのも大変でした。だから昭和40年に入居する前の3年間くらいはアパート暮らしでした。私たちは、喧嘩はしなかったです。私は朝早く出て、夜遅く帰ってきて夕飯食べて風呂入って寝るという生活の繰り返しで、家にあまりいませんでしたから。

 でも後になってから家内が言ったことがありました。長女が生まれて半年くらいのときに、あまりに夜泣きするもんだから、私がイライラして「泣かすんじゃねぇ!」って怒鳴ったことがあったんです。当時は家内も黙って娘を抱いて部屋から出ていったんですが、あとから「あれは悔しかった」と言っていました。根に持ってたんでしょうね。私も、「そうか。やっぱりな」と思いました。だって当時も怒鳴ってから、(しまった)と思いましたから。子どもが夜泣きするのは当然ですからね。

 家内は、子育てが終わったくらいからお琴をやっていました。バス会社にいたころから習っていたようです。結婚後にお琴をうちに持ってくることもなかったし、話も聞いていなかったので知らなかったですね。毎週、宇都宮の先生のところに通っていました。「行ってくるよ」「行ってこい」って言うくらいで、何も干渉しませんでした。

 でも私は、お琴を置く台は日曜大工で作ってやりましたよ。喜んだと思いますね。他にも、市の杉並木大学校で書道を1年間やっていました。はたから見ればいい奥さんだったみたいですね。


 平成15年くらいに、家内の乳がんが見つかりました。その後もしばらくは仕事を続けていました。再発したのはほぼ10年後で、治療の甲斐なく、平成29年に81歳で亡くなりました。

 入院した病院にお見舞いに行っても、あまり喋ることはなかったです。家内と私では、趣味が違いますから。あまり話はしないけど、いればいいという感じでしたよ。余計なことは言わずに、話すのは必要なことだけです。顔を見ればわかりますから。毎日病院に通ったけれど、洗濯物を頼まれたら洗って持って帰ってくるくらいで、ただ顔を見て、「じゃあまた明日な」と帰るだけでした。

 もしいつかまた出会ったら、やっぱり家内と一緒に生活したいですね。今度はもう少し話をする時間をとりたいな、と思いますよ。

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