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自分史のインタビューを受ける矢田晶嗣さん

生まれたときから中日ファン

平成29年4月発行

矢田晶嗣

愛知県・昭和15年生まれ

  人物紹介

  

名古屋で6人きょうだいの三男として、たくましく育った矢田晶嗣さん。学校を卒業した後は、トラック運転手、食品関係の営業などの仕事で活躍。「ドラゴンズは我が命」と語る、熱狂的なドラゴンズ党。

自分史本文より

■仕事

車の免許を取って、トラックの運転手になった。昼は名古屋市内、夜は茨城県の日立まで、長距離トラックで働いた。よう働いた。七宝産業という10人くらいの小さい会社に4、5年おった。途中立ち寄った茨城の牛久沼の女の子に名古屋まで連れてってくれてと言われたけど、女房がおるから断ったこともあった。でも、女遊びはよくした。寅さんじゃないけど。運転は昼夜問わず、週に1、2回は必ず長距離があって厳しかった。死にそうになったことは、1回や2回じゃない。

その後は、食品関係の営業をやり出した。店から返品されたのをまた売る。それが、よう売れた。安いから。3、4年したかな。そこで一緒だった人の兄が、ヤマザキパンの下請けで働いてて、サンドイッチ作るのを手伝ってくれんかって言われて。1年くらいで工場長になった。100人くらい女の人を使ってた。その当時、焼きそばだけの弁当がなかった。ドッグに挟むのもそうだけど、アイデアをヤマザキに持ち込んだら、それが、ものすごく売れた。300円くらいで。その後、他の企業がまねたりして、名古屋球場とか、いろんなところで売られた。家では、焼きそばってあったけど、弁当にはなかったから。私が最初に考えたんだ。

■たくさんの趣味

ボウリングは60歳過ぎてから始めた。いつ行ったって、友達がいるから。スコアもやればやるほど上がる。レーンを見れば、だいぶ使ってるなとか、油ぬったばかりだなって、いろいろ分かってくるから。ボウリングはレーンの読みが大事。スピード変えるし、レーンによっては投げる立ち位置まで変えたりする。ボウリングはものすごく深くて難しい。パーフェクト獲ったのは、海外旅行に出る日の午前中。セントレアに行くまでに時間があったからやってみたら獲れた。ボウリングを始めて10年くらい経ってた。パーフェクトのときは、ほんとに緊張する。299というのは何回もある。何回もね。また今日も獲れんと思ってた。パーフェクトのときは、7フレのとき、ポケットじゃなくて、裏にいっちゃって、それが偶然ストライクになって運が良く。裏のほうが取りやすいときもあるけどね。裏にいってくれたおかげでストライクが獲れた。何でも勝負事は運だけど、やっぱし興奮するね。いくら練習試合といってもうれしかった。

陶芸もやるし、ミニ盆栽もやるし、いろんなことやる。興味を持ったら徹底的にやるんで。それも退職してから。陶芸は6、7年やってる。陶芸は難しい。めちゃくちゃ難しい。乾かして、削って、だいぶ日数がかかるから。でも面白いんだ。テレビはビデオで撮り、後からしか。昼は毎日忙しいので。「和風総本家」、「YOUは何しに日本へ」が好き。東京テレビの番組は面白い。それ以外の趣味は、食い道楽です。

■ドラゴンズ

生まれたときから中日ファン。地元なんでね。昭和29年に優勝したけど、その前から好きだった。名古屋球場に行ってた。私はドームの応援団は嫌いだから、ドラゴンズのファンクラブには入ってない。応援団というのは身勝手で、ドンチャン騒ぎするから。人の前に立つ。静かに見たいから、私の席は応援団とは離れてる。年間シートを持ってるから。外野だけど19年、同じところ。32列461。おととしまで、464まで4席持ってたけどね。18、19年間、ずーっと買ってる。今は弱いから、月に1度くらい。でもずっと好きなんだ。ドラゴンズは我が命。

取材担当者のコメント

お庭でお話ができたら素敵だとお考えになり、取材のために、ウッドデッキを作成してしまうその実行力とアイデアにびっくりするとともに、とても素敵だなと思いました。お家の中は、中日ドラゴンズの写真、相撲の番付表などがいっぱいで、晶嗣さんがお好きな物がたくさんあって、その中で毎日楽しく生活されている様子が伝わってきました。

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