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父を誇りに思っています

平成30年4月発行

阪本辰治

山梨県・昭和3年生まれ

人物紹介

阪本辰治さんの自分史の表紙画像

昭和3年に山梨県で生まれ育つ。炭屋を営む父を手伝い、小学生時代から兄と炭を運んだという。以来、様々な仕事を常に全力投球してきたが、とくにブドウ作りには誰にも負けないくらいの情熱を注ぎ、今でも早朝から作業を行っている阪本辰治さん(取材当時)。

インタビュー記事より

戦争と戦後

阪本辰治さんの自分史本文イメージ

小学生のころ太平洋戦争が始まりました。15才のころに少年兵を志願したけれど、小柄で身長が足りなかったから、身体検査で落ちて試験も受けられなかったんです。今思えば命拾いしたんですよね。戦争に行った同級生は戦死してしまいましたから。
 
小学校を卒業してからは主にブドウを作っていました。炭の需要がなくなってきたから、父がブドウを始めたんです。当時勝沼でブドウ作りが始まったときでね。甲州ブドウです。豚も50頭くらい飼っていて、食肉用に出荷していました。ブドウ園の下に畑も作りましたよ。じゃがいもとかほうれん草なんか作って、豚の餌にしてました。父はブドウと豚で財を成したんです。あとはね、市場で柿を買ってきて干し柿を作ったりね。やり手でした。父を誇りに思っています。

終戦は17才で、実家のラジオで聞きました。戦争が終わって、自由に好きなことができると思いました。友達は3人ほど戦地に行ったと思います。弟は愛知県豊田の軍需工場にいたときに空爆されて、15才くらいで死にました。豊田に埋葬されましたから、お参りに行きました。
 
戦後、20才のときに東京に行きました。新宿に一間半くらいの店が立ち並ぶマーケットがあって、身内が店をやってたんです。そこの一画で立ち飲み屋をやって、山梨のワインを売ってました。父にお金を出してもらって、2年くらいやってたんです。ただ、うまくいかなかったので、店は売って山梨に引き上げました。新宿では店の上に住んでいました。商売に慣れるのも、人付き合いも大変だと思いましたね。借金はしないように生活していました。親の背中を見てきたから横道にそれることはなかったです。それで、戻ってしばらくは家業を手伝っていました。
 
酒は好きでしたね。ワインをたくさん飲みました。ビールも好きですね。ブドウ農家だから、自宅でお酒を造って飲んでました。毎晩コップ1杯、健康のために。

取材担当のコメント

とにかく小さいころから働き者だったという阪本辰治さん。口数は多くはなかったのですが、とつとつと語ってくださるお姿からは、ブドウ作りへの情熱と思いを強く感じることができました。「働くこと」と「育てること」について、深く考えさせられる取材でした。

ご家族の感想(アンケートから)

今回の取り組みで、親の知らないことを知ることができ満足しています。完成後に兄弟会を開き、父の米寿のお祝いをホテルで行いました。孫も同席して、楽しい会となりました。御陰様で、記念品として「親の雑誌」をプレゼントすることができました。

がっちりマンデーで紹介させていただきました!

平成28年2月放送のTBS系「がっちりマンデー」で、阪本辰治さんの雑誌を紹介させていただきました。

阪本辰治さんの自分史ががっちりマンデーに取材された画像

 

 

 

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