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心こそ大切に

平成28年6月発行

松本友治

東京都・昭和5年生まれ

人物紹介

松本さんの自分史の表紙

東京の本郷菊坂で生まれ、幼いころには学童動員や東京大空襲を経験。
中学校卒業後、日本金属工業株式会社に入社し、歴代社長の専属運転手として活躍した松本友治さん。

インタビュー記事より

松本さんの自分史の本文。心こそ大切に。

家族もそうだけど、これからの人、みなさんに伝えたいと私がいつも思っているのはね、「心」です。「心こそ大切に、誠実な心で相手と話をすれば、必ず勝利する」っていう信念を、心こそ一番大切だということを伝えたいですね。これは法華経の中にもありますけどね。例えば、「蔵の財より、身の財優れたり、身の財より心の財、第一なり」って法華経の経文があるんですよ。その心こそ一番大切なものだと思う。

うちの家内のおじさんで詩を書く人がいるんですけど、その人からいただいた色紙に、「心」っていう一文字が書いてあります。これは強い心で生きなくちゃダメだっていう、正しいことは正しく、間違ったことは間違っていると言える、そういう強い気持ちで生きていってほしいっていう意味だからって。心こそ大切にっていうね。私がみなさんに伝えたいことはそれだけなんですよ。

あと座右の銘としては、私は学生時代から、「至誠実行」という言葉がずっと頭にあるんですよ。これを大事にしてます。それ一筋にやってましたよ。一番上の孫が、独立してベトナムかなんか行ってやってるんですけど、私は漢詩も好きでね。尊王攘夷論のときにね、山口県のある人が故郷を出たときの詩があって、「男児志を立て郷関を出ず 学若し成り無かんばまた還らず 骨を埋むるに何ぞ期せん墳墓の地 人聞到る処青山有り」。これをよく孫に伝えてます。こういう決意で、故郷になんて帰らなくて良い、失敗してもチャンスはいくらでもあるからって。そういうことで、その詩が大好きでね。

それと、婿さんがまた良い婿さんでね。お父さんが八百屋から漬物屋をやってて、それを手伝いながら自分で勉強して桐蔭から成蹊大学に行って、富士ゼロックスに入ってるんですよ。組合の委員長なんかもやったことあって、役員との話とかもいろいろ聞きました。昔はお父さんと野菜を買いに行って、大八車の手伝いしてたとか、そういう苦労もしてたみたいだけど。だから、娘は良い人と結婚したなって思いますね。

だから、勉強っていうことは一切言わないですね。自分の好きな道を歩けっていうね。子どもたちにもね、孫に、あまり「塾、塾!」って言わないほうが良いよって言ってます。うちはそういう方針です。

家内も色々苦労してるからね。東京の小岩の生まれだったんですけど、そのころ肺結核っていうのがはやりましてね。父親が警察の特高警察だったんだけど、肺結核になって田舎に帰って療養して、それで亡くなったんですよ。子どもは5人いて、一番下が家内です。いろいろ苦労してますからね、家内はしっかり者ですよ。私は仕事仕事だったから、うちをよく見てくれましたね。近所でも2 人で出かけるのが有名ですよ。いつも2 人で朝早くから、よく歩いてるって。家内にはいつも感謝だけですよ。それで家を支え合えていますね。子どもたちにも、できればそういうことをみんなで思ってもらいたいですね。そういう気持ちを大事にしてほしいですね。

 

取材担当のコメント

さまざまなご苦労をされながらも、勉強や仕事に一生懸命に取り組んでこられた松本さん。「至誠実行」という座右の銘を本当に大事にされているのが、取材のときもとても伝わってきました。常に穏やかで優しさに溢れる松本さんの魅力がたくさん詰まった雑誌になったと思います。本当に貴重なお時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。

 

ご本人の感想

 お二人とも穏やかで話の引き出し方がとてもお上手でした。世間話をするようにリラックスしてお話しすることができました。
 今まで伝えていなかった昔の話をしたり、写真を孫に見せたり楽しい時間が増えました。

ご家族の感想

「自分の人生を振り返る」ことは、普段の生活の中ではなかなかできません。ましてそれを家族にゆっくり話す機会もありませんでした。今回雑誌を作成していただくことで今まで知らなかった父の人生、また父自身も忘れていた昔の記憶を呼び覚ますことができました。出来上がった雑誌は家族全員にとってとても愛しく、宝物になりました。何気ない会話からいろいろな思い出を引き出してくださったこと、本当に感謝しております。

ありがとうございました。

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