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金子様の自分史のトップ写真

教師として工夫したことは、本を読んで聞かせて、本に親しませることでしたね。

平成29年8月発行

金子徹

大阪府・昭和6年生まれ

人物紹介

金子さんの自分史の表紙

大阪府天王寺で生まれ、空襲に遭うも一命をとりとめ、丹波へ移住。静岡大学を卒業したのち、中学教諭として子どもたちの教育に力を注ぎ、校長としても活躍してきた。私生活では、最愛の妻とともに2人の子どもを立派に育て上げた。生徒に真摯に向き合って生きてきたという金子徹さん。

寄宿舎生活

金子さんの自分史の本文。寄宿舎生活について。

しばらくして、兵庫県丹波の山奥に住職のいないお寺があって、来てほしいと言われたので、父は大阪の永元寺と兼務という形で行きました。中学2年のときに転校になって、私と下の弟は寄宿舎に入りましたけど、大変でしたね。中学校は1年生から5年生まであるんですけど、寄宿舎の各部屋にも1年生から5年生までいるんです。終戦前後ですから厳しくてね。起きるとまず上級生の洗面器に水を入れて、歯ブラシに歯磨きをつけて、どうぞと渡します。軍隊生活のようでした。下級生が掃除もやるんですけど、80メートルぐらいある廊下にずらっと並ばされて、上級生がそれっと掛け声をかけたら一斉に雑巾がけです。

寄宿舎の消灯時間が9時ですから、テストのときの勉強は廊下の電気の下で上級生はやるんですけど、下級生はトイレの電気がついているところで勉強しました。食料事情も大変なころですから、朝はお粥みたいなのが出ます。イモご飯だってイモの中にご飯粒が入っているようなものだし、味噌汁にはイモの葉っぱが入ってました。唯一楽しみにしていたのは、月に1度か2度両親のもとに帰ることでした。母親の優しさを感じるんですよ。戻るときも食べ物を持たせてくれるんですけど、寄宿舎に戻ると上級生に取られてしまうんです。上級生が、これはこっち、これはかわいそうだから残しておいてやる、なんて言うんですが、おいしそうなものからなくなっていきましたね。僕らは上級生から散々いじめられて大変な思いをしましたから、自分たちが上級生になってからはやめようということで、僕が上級生になったときはそういう風潮はなくなりました。

本を読むことが好きだったから、勉強も文学系が好きでした。僕たちの寄宿舎のすぐ近くに女学校の寄宿舎があったんですけど、上級生に「おい金子、彼女に出す手紙を書け」と、よくラブレターを書かされましたよ。「これじゃあ駄目だから、書き直せ」なんて言われてました。国語の教師になれたのも、上級生に鍛えられたからなのかもしれませんね。

金子様の自分史の本文。中学校教員として。

 

取材担当のコメント

取材にお伺いした際、きちんと整理されておられる資料から徹様の丁寧な暮らしぶりが伝わってきました。子ども時代から現在までの半生をお話なさる中に、ときおり挟まれる冗談から、生徒さんに慕われた先生でいらっしゃったことが容易に想像できました。お誕生日や結婚記念日にお電話取材できたことも幸運でした。

 

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