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阿野昭三郎さんの自分史のインタビュー中の写真

苦労したことは必ず成果が出る

平成28年7月発行

阿野昭三郎

鹿児島県・昭和18年生まれ

 人物紹介

  阿野昭三郎さんの自分史の表紙写真

地元の名士の父と商売人の母のもと、鹿児島県指宿市で幼少期を過ごした阿野昭三郎さん。東京に出て兄と共に会社を起こすも、兄が倒れたことで急きょ会社を一手に引き受けることに。その後、苦労を重ねて事業を拡大させた。

自分史本文より

阿野昭三郎さんの自分史の中身写真

■7人兄弟の末っ子

生まれは昭和18年。鹿児島県指宿郡山川町という港町だよ。昔は繁盛していた町だったんだ。20年前に帰ったときは過疎化していてね。港町だから、家は鰹節を作っていたよ。それと、お風呂屋・運送屋・貸店舗なんかしていたね。長くて大きい家でさ、相撲の巡業あるだろ?周りに旅館がないから、みんな家に泊まったんだ。小学一年のときだったかな、羽黒山がいたんだ。

父が県会議員で、母が商売人。父は地元に貢献した人だった。漁業組合長もしてさ。台風の時期になれば、父は消防団で外を守りに行ったな。母と兄弟で家を守っていたよ。父親は地元に厚くした人だったね、誇りに思っている。人のために尽くす人で、人望があったな。

私は、460匁(もんめ)で生まれてね。匁って単位、今の人分かるかな?要は未熟児で生まれてさ。ダメだろうって言われていた。7人兄弟で、男3人に女4人。私は一番下で、上の姉とは二回りも違うんだ。一番下だからかわいがられたよ。それに、50歳近い時に出来た子だからね。

■肝っ玉母さん

母親が商売人でね、魚を担いで行商人をしていたな。魚の入札をしたりね。家の事を全部母がしていたから、母の影響が大きいかな。物心ついたときが一番いい時期だったよ。母親は厳しい人だった。お線香をあげないとご飯はなし。父の前で胡坐をかいてはいけない。悪いことすると、お線香を手の甲にあてられて、痕ができたりしたよ。長櫃に入れられたりもしたよ。お仕置きだね。母親は仕事で忙しかったから、住み込みの女中さんのふみさんに育てられたんだよ。

「金儲けは体で稼げ。」これは、母の言葉で、良く格言を言う母だったんだ。私の基本も「汗を流して稼げ」だね。今は通じないけど、頭を使ったり人それぞれの得意分野があるしね。あっぱれの母親、印象深いね。母は55歳で倒れて、10年寝たっきりだった。

■人間関係が大切

一番は人間関係だよ。ぶつかることが、1人対30人のときもあった。私はね、本音で付き合うことが一番だと思ってる。いつかは分かってくれるって思っている。裏切り行為は絶対にやってはいけないよ。倍になって返ってくる。その人から受けなくても、他の人から絶対返ってくるからね。例えばさ、孫請けが元受を飛ばすようなことはするな。それやったら、ダメだね。筋を通すこと。基本は人間関係だよ。

自分は商売では苦労したほうだと思います。兄が早くに亡くなったからね。でも苦労したことは必ず成果が出る。出すように努力するということだと思います。私ほど失敗している人間はいないからね。

■息子・娘・孫

娘は自分に似ているよ。心配性で石橋をたたいて渡るタイプ。子どもが双子だから、子育て仕事に頑張っているなと思う。私の誕生日祝いは必ずやってくれる、気持ちの優しい子だよ。娘が小さなころ、練馬でネットボールコーチをやっていた。頬を叩くことはなく、手のひらを叩いてカツを入れていた。しごいてくれてありがとうと言われたよ。今は会社で仕事をやっている。決算表など作っていて、仕事はピカイチだね。

息子は母親に似ているな。成果主義だね。私に出来ないことをどんどんやる。口ではかなわない。仲間作りが上手いよ。ポリシーを持っていて、見る目があるしね。欲しければ取りに来い!下をあげたいなら上から上げると考えていて、私とは180度違う。私は下から上げていくから。退職のときは腕時計をプレゼントしてくれてさ。まあ、かみさんが言ってくれたのかもしれないけれどね。玄関先にある自転車、素敵だろう?それも息子からだよ。自分より心があるかも。さりげなくやるからさ。

孫は5人いる。孫たちに伝えたいことは、「親を大切に」それだけ。それ以上たくさん言葉にしても仕方ないでしょ?

取材担当者のコメント

仲睦まじいご夫婦のご様子や、ご家族や会社のみなさんのお話に心温まりました。目標を持つことの大切さ、健康のありがたさ、そして何より謙虚な姿勢など、お話をお聞きする中で多くのことを学びました。

ご本人の感想(お手紙から)

子どもたちからは「とても良い雑誌ができたね、貴重だね」と言われました。孫たちも「じいちゃんが雑誌に載った」と喜んでいます。

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