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佐藤高さんの自分史のインタビュー中の写真

夢は諦めなければ叶うんだよ

平成28年6月発行

佐藤高

東京都・昭和14年生まれ

 人物紹介

  佐藤高産の自分史の表紙写真

東京・品川で生まれ、少年時代から演劇や文学、浪曲が好きだった佐藤高さん。三味線、神楽、祭りなど様々な芸能を愛し、その伝承に力を注いできた。夢だった著書も数多く出版し、生まれ故郷品川で今なお精力的に活動を続ける。

自分史本文より

佐藤高さんの自分史の中身写真

⬛小・中・高校時代

小学校の6年間、成績が良くて、学芸会ではいつも主役だった。それで、演劇が好きになって、中学では木下順二の『三年寝太郎』をやったんです。それから俳優になりたくなっちゃった。中学くらいから、親の言うこと聞かなくなるじゃない。だんだん成績が落ちちゃって、小山台高校を受験したら落ちちゃった。それで、第二志望の大崎高校へ行ったわけ。元々女子高だったのが共学になったから、女性が沢山いたの。青春時代だから彼女が欲しい。でも、私はもてなくてね~(笑)。武者小路実篤の『友情』を読んで憧れたんだけど、3年間彼女できなかった。チャンバラが好きで剣道部に入ってね。だけど、後輩は殴られるんだよ、先輩に。こんなんだったら馬鹿になってしまうと、1年でやめたんです。あんまりいい思い出ないですよ。

『三年寝太郎』を高校でもやってるんですよ。俳優になりたいと思ってたんだけど、そのころはいい男じゃないとなれない。お袋がさ、「そんな河原乞食みたいの!」って言うの。それで諦めた。高校時代は小説も書いてたね。本が好きで沢山読んでました。漱石、太宰、芥川、岩波文庫ですね。井上靖の本は全て持ってる。それから、直木賞系統の軽い本が好きになって、小説家になろうと思った。そしたらお袋に、「そんな三文文士みたいな売れない者になるんじゃない!」って言われて、それも断念。

浪曲も好きだった。浪花節がすごく流行っててね。おばあちゃんがラジオを、聞いてて覚えちゃった。『浪曲天狗道場』って番組があって、入門で合格すると500円もらえる。次の初段へ行くか、ここでやめるか聞かれて初段に挑戦した。そうすると、「ドンドンドンドン!」って鳴って合格。そうやって2段まで行った。ここでやめておけばよかった。次に3段に挑戦して、「ドドンッ!」って落ちちゃった(笑)。賞金は全部パー。

■本の出版

芸能が好きで、子供の頃からいろいろなことをやってきた。昭和40年頃からかな、自分でできるものは自分で覚えよう、できないものは記録して本で残そうと思った。昭和54年に新潟県に単身赴任したけど、新潟県に越後三十三観音っていう観音霊場があることを知ったんです。それで調査をはじめた。その原稿を新潟日報に持っていったら、ちょうどこれから企画しようと思っていたということで出版してくれた。それで初めての本、『越後三十三観音 巡礼の旅』を出してもらえたわけです。営業なんて売れてれば自由ですから。だから、新潟はつらかったけど、嫌なことだけじゃなかった。

昭和60年に会社がアメリカメルクって大きな会社に買収されちゃったわけ。そのときに社長が変わったんです。その社長が文化的な人でね。私が本を出したのを知って、「我が社にこんな文化的な奴がいたのか!」と、親しくしてもらった。「いい加減帰してくださいよ」と言ったら東京へ帰してくれた。本を出したのも、東京へ帰れたのも、芸は身を助けると言いますかね。新潟へ行ったから、本を出せた。帰ってきて2、3年、卸を監督する仕事をしてたら、社史をやってくれと、社長直属のお願いがあってね。そうして日本中のOBのところを探して歩いて、聞き取り取材に回った。そのころ、古事記が元になってる里神楽をやっててね。社史をやりながら、古事記の取材も始めた。高千穂に古事記の取材に行くとしたら、その近くにOBがいないかなと探したりして。だから逆なんだよ(笑)。芸能のおかげで、すべてのことがつながってきてるの。社史は4年ぐらいやったんだけど、社長が1年で変わって、完成する前に定年退職になった。結局、別の教授が完成させました。でも、私が取材した資料をもとにしたみたいですよ。

退職が嬉しくってね。やっと自由、これからだ!と思った。今は楽しい。とにかくじっとしているのが嫌なんだ。習い事をいっぱいしてます。会社では喧嘩ばっかりして、課長殴っちゃったり、それが原因で新潟に転勤になったり(笑)。それでも、定年までいてね。いい会社だったよ。

■頑張っていれば夢は叶う

演芸や芸能が好きで、小学校から主役やってね。元々、人に見せたがり屋なんですよ。今は品川神社の祭りの責任者やってるんですけど、お祭りが好きなんです。営業時代、芸者遊びしてるうちに、端唄、小唄を覚えて。そして、三味線弾きたくなっちゃったの。親父に三味線習いたいといったら、三味線の師匠を紹介してくれた。そしたら、叔母が三味線を買ってくれた。師匠からなかなか筋がいいと言われて、地元の女郎屋の元主人たちがやっている「おとぼけ連」という仲間に入れられて三味線弾きになっちゃった。

古いものが好きでね。昭和38年に東京オリンピックがあって、古いものが壊されちゃうってんで、古いものを写真に撮ってたんですよ。これは何とか保存しなきゃいけないなと。

品川神社に太太神楽という神前舞があって、里神楽の間宮社中が奉仕してたんだけど後継者がいなくなって、昭和47年に太太神楽保存会ができた。以来、40数年やってるけど、今は後継者を育てている。里神楽の間宮社中も後継者が不足したので、それもやることにした。これも40数年やってるけど、これはまだ教わっている。今は、私のライフワークみたいなものだね。

三味線に茶道に神楽。全部、自分でやって、できないものは記録して本にする。だけど、なかなか本を出版できなくてね。なんども諦めかけたけど諦めなかった。そして、平成4年についに本をだすことができた。自分の著書をだすことが夢だった。だから、授業で中学生に言ってるんです。夢は諦めなければ叶うんだよと。

取材担当者のコメント

御自身の本を出版されたり品川神社の年番長を務められたりと、人が羨むような人生を歩んでこられた佐藤高さん。お話をお聞きするうちに、その華やかな人生は、どんな逆境にも屈せず、たゆまぬ努力を重ねてこられた結果なのだという事が分かりました。「私ね、頼まれたら断れないんですよ」と笑いながら話してくれた高さん。そんな男気溢れる高さんの魅力がたっぷり詰まった一冊になっていたら幸いです。ありがとうございました。

ご本人の感想(お手紙から)

すばらしい雑誌をつくっていただき、ありがとうございました。取材で話した内容を十分に生かしてくれたし、写真も豊富に掲載してもらえました。良い自分史ができ、一生の思い出になります。子どもや孫たちに私の生きざまを知ってもらえて良かったと思います。幸せです。

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