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佐々木睦雄さんの自分史のインタビュー中の写真

仕事では本当に必死だったね

平成28年11月発行

佐々木睦雄

福井県・昭和10年生まれ

 人物紹介

  佐々木睦雄さんの自分史の表紙写真

福井市深坂で9人きょうだいの七男として生まれ、自然の中でたくましく育った佐々木睦雄さん。中学卒業と同時に上京し、様々な仕事を経験したのちにフタバ食品に入社。ロングセラー商品となる「サクレレモン」を試行錯誤の末に開発するなど活躍した。

自分史本文より

佐々木睦雄さんの自分史の中身写真

■子ども時代

母はうちの父親が早くに亡くなったから、兄や私をかばうのに精いっぱいだったでしょうね。私は国民学校第1期生であり、新制中学校の第1期生なんですよ。私のひとつ上の代では鳩ぽっぽの歌で始まるけど、私の代からは陸軍の歌ですよ。私たちは時代的にも戦争被害者だろうね。当時は教育なんてまともに受けられなかったんです。住んでた地域は敵前上陸があるかもしれないということで予科練がいて、三里浜にも飛行場を作ってました。小学校高学年くらいの年のときには3日学校に行って、それ以外の3日は木工をやったり、棒を持って飛行場を作りに行ってましたよ。昭和5年生まれくらいの人は基礎教育は受けられたんですけど、私とか昭和10年生まれくらいの人たちは応用編だけ習うから、結局何もできなかったです。小さいにときは学校に行ったら校庭にサツマイモを作ったり、桑の実を採ったり、彼岸花の根っこを掘ったりしてましたね。だから教育という学問はだめなんですよ。

■フタバ食品に勤めて

浅草で働いていたときの職長が宇都宮に行ってて、その人を頼って宇都宮にある現在のフタバ食品へ行ったんです。その時期は本当にいろいろ転々としてて、アメ横に行って浮浪者にならなきゃいけないんじゃないかと思ったこともあった。もう田舎にも帰れないから、金はどうでもいいからとにかく「寝る、食べる」をできるところを探さなきゃいけなかったね。だから17歳から20歳ぐらいまでは状況が悪かったよね。でも朝鮮動乱が起こる前までは働かせてもらえるところがあるだけいいって感じでしたからね。柳行李と布団1枚持って転々としてました。でも、宇都宮に行ってから生活も安定しましたよ。

宇都宮に行ってから3年くらいはやっぱり甘納豆を作っていて、夏はアイスクリームの配達。そこには浅草にいたころの後輩が5、6人くらいいたから、そんなに新しいところに来たという感じはなかったね。3年くらい働いたら水戸の甘納豆屋を紹介してくれるって話だったんだけど、それがなくなって、結局そのまま同じところにいましたね。菓子問屋もやってたんで倉庫番をやりましたよ。いろいろなことをやっていた会社だったので、九尾ずしを作ったりもしてましたよ。1日2万食も売れてました。電車が黒磯の駅で15分くらい停車するんでそこで、すごい売れましたね。河内サービスエリアをフタバ食品で経営してたんで、そこでも売ってましたね。だから甘納豆のあとは食品部に移って、弁当売りもやりましたよ。社長にもかわいがられてたし、充実してたね。20代になるまでは苦労したけど、みんなそうだったと思うし、生きるのに精いっぱいという感じだったからね。

営業のときに、橘屋というお店があって、そこに商品を売れたら一人前だって言われたんですよ。それで見本を持って行ったら、そこの親父さんに何年生まれやって聞かれて、昭和10年生まれやって言ったら、じゃあ低能やなっていきなり言われたんですよ。それが頭にきて言い返したら、奥さんが飛んで来て謝ってくれたんです。まあ言われてみれば、昭和10年のあたり子どもはまともに教育を受けられてないと思って、納得はしたけどね。でもそのまま怒って帰ろうとしたら親父さんが追っかけてきて、結局注文が取れたんですよ(笑)。それが営業の始まり。

■サクレレモンの開発

「サクレレモン」は大阪にいたときに私を助けてくれた商品。大阪にいたときに、最初はかき氷が全然売れなかった。原価をかけずに消費者に買ってもらうにはどうすればいいかを考えて、始まりました。自分で市場調査のために神戸を歩いて回りましたね。そしたらストローで歩きながら飲んでいる姿をみて、かき氷もあの形だなと思ってね。最初は断熱効果のある発泡スチロールの入れ物で、ストロースプーンを刺して売ったんですよ。それと硬くなり過ぎないようにアルコールと糖の割合で凍結度合いを調整したんです。娘の学校に持って行っては意見を聞いてね。それで売り出したら、これが売れてね!ひっきりなしだったよ。このひとつ前にかき氷バーを売ったんだけど、バーから落ちてしまうことが多くて、最初失敗したんです。でも氷の部分にコーティングするやり方を思いついて、その欠点がなくなって、これもすごい売れた。沖縄に毎週コンテナで運んでましたよ。でも「星空」っていう商品は自信があったのに売れなかったな(笑)。下手な鉄砲も数打ちゃあたるという感じでいろいろやりましたね。

取材担当者のコメント

仕事に必死に取り組んできた睦雄さんの話の面白さ、奥深さにとても惹きつけられました。ありがとうございました。

ご家族の感想(お手紙から)

私も聞いていないことをよくぞ聞き出してくださいました。プロの素晴らしい質問方法を見せてもらえました。

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