みんなにかわいがられた人
主人のいいところは、けちじゃないところ。さっぱりしてみんなにものをあげるのが大好きで。でも、私は結婚指輪はもらいましたけど、ほかのもの買ってもらったことありません。主人も私も仕事をしてましたからお財布は別だったんですよ。だから自分のものは自分で買ってました。主人は子煩悩でしたから、かほるが靴を買いに行って、黒と茶色どっちがいいって聞くと、両方買えばっていうような人でした。とってても大ざっぱなんですよ。
知り合ったのは、お兄さんが私が勤めてる役場の隣の小学校の先生で、今みたいに便利な世の中じゃなかったから、電話をかけるにしても役場にこないといけなかったのよ。お兄さんが先に私のことを気に入ったんです。それで弟のところに来てほしいって言われて。何度も断ったんですよ、お金がない、うちもない、土地もない人なんてって。それが、あるとき、菓子折り持ってきて私の家に上がり込んできてね。それで、そんなに悪い人じゃないってことが分かって。とにかく田舎の金持ちっていったら土地を持ってるってことだから、嫁に行けば百姓やらないといけない。それが嫌でね。農家のお嫁さんなんてあのころは容易じゃないし、私は仕事をしてたから。そこへ主人がやってきて、親も気に入ったから一生懸命になって薦めてきて、その気になったのよ。
そのころ主人は保健所に勤めてて、部下がお金を使いこんじゃったの。結構大きな問題になって、その責任を取って部下と一緒に辞めたてね。急に辞めたから仕事がないでしょう。しばらくは、お魚の出荷をやってた親戚から、出荷できないようなお魚をもらって売ってたのよ。ああいう気性で、男前だからどこに行ってもかわいがられて、みんなが買ってくれてたのよ。でも私はそのころが一番大変だったわね。
いつまでもこのままじゃ駄目だからって、殖産住宅に入ったんだけど、ちょうどニューファミリー向けの家が出てきたころで、周りに好かれる性格だったからお客さんにも恵まれてじきに支店長になって、そのころ浮気したんですよ。それで部長さんに相談して、大阪に転勤にしてもらったんです。簡単に会えないところにね。大阪でも支店長やって、6年くらいいたんですよ。そのあと、千葉に戻ってくるんですけど、そこでも支店長をやってました。当時、よく部下も遊びに来て、チョコレートをたくさん持ってきてくれるんだけど、娘はその当時おせんべいのほうが好きで見向きもしなかったわね。主人が娘をかわいがって社員旅行なんかにも連れて行ってましたから、部下の人にもかわいがってもらいました。
結核になってから仕事を辞めて、療養って言ってはしょっちゅうゴルフ行ったり、自由にやってました。その代わりたくさん薬飲んでましたけどね。肺に直径5センチくらいの穴があいてたんですけど、手術は嫌だって言って、遊びながら治しましました。そのときは、娘とよく遊んでましたね。
主人はお金を稼ぎましたけど、お財布が別だったから、みんなに使っちゃって。私は主人に買ってもらったものなんてないわよ。着物買ったって言うから、私の着物だと思ったら、娘の着物でがっかりしたわね。その代わり、私が何を買っても一切文句は言わなかったわね。
家族旅行はよく行きました。主人は写真に凝ってたから娘の写真をたくさん撮ってました。高いカメラ10台くらい持ってましたね。凝り性の人だから、写真も上手でしたけど、何やらしても人よりはうまくできる人でした。
主人は戦争で満州に行って、シベリアに抑留されたんだけど、そのころも体調が悪くって、仕事ができなくなったから、それで帰ってこれたんですよ。戦友はみんな亡くなったって。戦争の話は1回もしたことないし、白樺を見るのも嫌だって言ってましたね。いつ死んでもいいっていうのが口癖でした。朝になると大抵何人か死んでる、そんな状態だったみたい。体が弱かったから運よく帰ってこれたんですよ。
亡くなったのは76歳のとき。お酒が好きでたくさん飲んでたから、肝臓がんになっちゃってね。酔っぱらってるときにオメガの時計を何回も盗られたり、タクシーの運転手さんからすごいお金要求されたこともあったわね。
新しいものが好きだからテレビCMなんか見るとすぐ買っちゃうの。その支払いは私がやってました。主人が仕事を辞めてからは、お金ないのは気の毒だから財布の中にそっとお札を入れてたけど、今考えるとのんきな人でしたね。
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