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THE三浦榮子

平成30年11月発行 / 埼玉県在住・大正6年生まれ

三浦榮子の“幸せ”に迫る

 そうね。やっぱりみんなが幸せに暮らす。それが一番ね。みんなっていうのは、家族とか、お友達とか。自分のことよりも、周りの人のことをまず考えますね。

一番幸せだったときは?

 子どもたちがいいときってあるでしょ。そのときにいいな、幸せだなと思うのね。子どもたちや孫たちがいいときが、私にとっての幸せです。だって、自分だけよくてもしょうがないもんね。女の人は大体そうなんじゃないかしら。

 仕事で幸せを感じたときは、いい生地が見つかったときだね。戦後すぐは買い出しの行き帰りの汽車が満員で、本当に大変でしたよ。

 テーラーを閉じて館林に移ったとき、税務のこととかいろんな仕事からやっと解放されてほっとしましたよ。それに、石巻では大きな一軒家に住んでいたから、ちょっと出掛けるにも家の中の全部の鍵をかけなくちゃいけなくて大変だったんです。それが館林のマンションに移ったら、玄関の鍵だけかければすぐ出掛けられて、なんて楽なんだろうと思いましたね。

 館林にいたときは、孫たちの学校行事を見に行くことも大きな喜びでした。運動会、学芸会、合唱コンクール、文化祭。そういうものには欠かさず参加しましたよ。一家で来るって有名になったくらいですから。それから、暁子が東京で年に一度開いていた演奏会に行くのも楽しみだったわね。

 それからね、館林のマンションの部屋からは、毎日、朝日が昇るところが見られたんですよ。日の光は一日として同じ色がなくて、毎日違うんです。あれには感激しましたね。それに、四方に山々が見えたんです。南には富士山、東に筑波山、北が男体山、そして西のほうには赤城山。本当に素晴らしい景色でした。

子どもたち、孫たちへ

 やっぱり健康に気を付けて、仕事があるならそれを一生懸命やってほしい。平凡だけど、そんなことじゃないかしら。

Family’s Photo

ご家族メッセージ

もうすぐ102歳を迎える母の歩んで来た人生を形として残しておきたいとかねがね思っておりましたので、このような本にまとめる事が出来て、家族一同とても感激しております。

子どもたちより

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