この人を大事にしたいと改めて感じました。
写真:お申込者K.H様、娘様とお父様の「親の雑誌」
お申込者であるお子様(K.H様)にお話を伺いました。
【K.H様プロフィール】
大阪府出身。総合商社でキャリアをスタート、インドネシア駐在後に米国留学。大学院で修士課程を修了(経営学、情報工学)。帰国後は、コンサルティングファーム、投資ファンド、外資系のIT/通信会社2社で代表取締役社長を歴任。現在は上場会社2社の社外取締役を務める。2022年に長野県に移住。
―「親の雑誌」を制作したきっかけを教えてください
きっかけはいくつかあります。一つは、妻の父が昨年亡くなったこと。もともと「親の雑誌」のことは知っていたので義父に作りたいと思っていたんです。ですが、検討しているうちに容態が悪くなり、話すことも難しくなりました。そういうことがあると、自分の親のことを考えますよね。
父はがん闘病中ではあるけれど、まだ元気で話すこともできる。じゃあ父の雑誌を作ろうと。父が人生を振り返ることで、忘れていたことを思い出すこともあるだろうし、おふくろを含め家族に伝えたいことがあれば、元気なうちに聞いておきたいという気持ちもありました。
―「親の雑誌」を作りたいと伝えた時のお父様のご様子は?
正直、積極的ではなかったです。最初は「あなたの人生を振り返ってほしい」と伝えました。「どうやって作るんだ?」と聞かれたので、「プロの方が家に来て質問するから、それに答えればいいだけだよ」って言ったんですが、「いや、そんなんでけへん」って。なので「普段通りに話せばいいよ」とか「小学生の時どんなことをしていたのかとか、そういう話をすればいいよ」、「何にも気負うことないよ」など話をしました。それで「そんなら頑張ってみるわ」って言ってくれましたね。
―不安を感じていらっしゃったんですね
父はずっと自営業をやってきました。おふくろと2人だけで何十年も仕事をしてきたので インタビューを受ける機会なんてなかったんですよ。抵抗感と不安はあったでしょうし、相当プレッシャーだったと思います。インタビュー前日は「大丈夫かな」、「いけるかな」、「コーヒー準備した方がいいかな」なんて言っていました。インタビュー当日はおふくろに隣にいてもらったようです。
―事前準備(プロフィール、年表の作成、掲載写真の準備)中に感じたことはありましたか?
プロフィールと年表は父とおふくろに作ってもらったんですが、おふくろが「振り返るのはいいね」と言っていました。おふくろにしても、「お父さんは、鹿児島の犬迫町で生まれて、こんなふうに育った」ということを知れたんだと思います。おふくろも楽しそうでした。妹と私は父の若いころや、鹿児島から大阪に出てきたころのことを何となくは知っていましたが、知らないことの方が多かったです。こんな仕事もしていたんだとか、大阪に出てきた後に一度鹿児島に戻っていたんだとか、そういったことですね。 残念だったのは、写真をインタビューの少し前にかなり捨ててしまっていたんです。「あの写真があれば」って言っていました。
―制作中、コミュニケーションの量は増えましたか?
父が発信することはあんまりないんですが、普段から会話の量は多いんですよ。それと、父は孫である私の娘が大好きなので、娘の写真をLINEで頻繁に送っています。それにおふくろや妹が反応して家族で盛り上がるんです。 それでも制作中は、通常より会話は増えました。訪問でのインタビューを受けた後もすぐに電話がかかってきました。「話しやすかった。ほっとした。今日は早く寝る」って。 インタビュー終了後も、私に原稿を送っていただいたので、それに関してやり取りはありましたね。
―ご家族の関係は以前から良好だったんですか?
そうではないですね。私が小さいころ、父はとても厳しかったんです。だから避けまくっていました。高校までは避けていたので、家族で旅行に行くことは小学生まではありましたが、中学・高校生時代は、行こうと誘われても行かなかったです。それくらい避けていたんです。 私が大学に入ったころから少しずつ変化していきました。物理的に距離ができたことも大きいと思います。社会人として仕事をするようになって、その大変さを知ったことも気持ちに変化を与えました。父は朝から晩まで立ちっぱなしで働いていましたからね。私は高校、大学と私立に行かせてもらったので、学費も苦労しただろうと実感できるようになったんです。 とはいえ、こうなるまでは時間がかかりました。
お互いに感謝できるようになったのは20年くらい前です。約25年前、私はアメリカに留学していたんですが、帰ってくる時にお金が底をついて引っ越しができそうになかったんです。それで父に「申し訳ないけど、引っ越し代を貸してほしい」と言ったんです。今もあまり詳しく話してくれないんですが、そのお金を捻出したことで、ローンを返せなくなり、一時期は大変だったようです。その後、私が返済をサポートするようになったころから、父も私に感謝してくれるようになりました。あとは妹が両親の近くにいてくれることが家族をいい関係にしてくれています。彼女の存在は大きいですね。
―「親の雑誌」が完成してからお父様に対して気持ちの変化はありましたか?
ありました。もともと、父が苦労しことは知っていました。子ども時代の話をよく聞いていましたから。その聞いていた話が文字になると、この人を大事にしたいと改めて感じました。父は今、がんの闘病中ですが、最後はいい人生を送ってほしい、楽しく暮らしてほしい、そういった自分の気持ちを再確認できました。文字にできてよかったです。
私の娘が、今小学2年生なので、まだ自分で「親の雑誌」を読むことはできないんですね。なので、読み聞かせじゃないけど、おじいさんはこんな苦労をしてきたんだよ、ご飯を食べることにも苦労したんだよ、というのは伝えたいです。父もおふくろも妹も「親の雑誌」を作って本当によかったと言ってくれます。
―どんな人が「親の雑誌」を作ったらいいと思いますか?
私はことあるごとに人に薦めていますよ(笑)。ただタイミングはあるのかなとも思います。 今、親御さんが元気な人は考えにくいんじゃないかな。親御さんとの関係性もあるので軽くお薦めしています。
ご利用者様の許諾をいただいて掲載しております