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自分史作成サービス「親の雑誌」お客様の声

自分自身の解像度が上がった感覚を持ちました

(写真:申込者松本悠平様とおばあ様の「親の雑誌」)

お申込者であるお孫様(松本悠平様)にお話を伺いました。

【松本悠平様プロフィール】

1984年大阪府生まれ。2008年に東京大学卒業後、外資系金融機関およびプライベート・エクイティ・ファンドにて勤務。その後教育系サービスを立ち上げる、上場企業の社外役員を務める、スタートアップ企業の成長をサポートする業務を行うなど、幅広い活動を推進中。

 

―「親の雑誌」を制作したきっかけを教えてください。

サービス自体は以前から前から知ってはいました。昨年(2022年)たまたまFacebookで「このサービスがよかったです」というコメントを読んで思い出したのが、制作のきっかけです。

―親御様ではなく、おばあ様の雑誌を制作された理由はなんでしょうか?

私の家族はどちらかというと仲がいい方だと思います。年末年始やお盆などで年に2回くらいは集まるのですが、その中心にいるのが祖母なんです。祖母は自分から「私のところに来なさいよ」というタイプではなく、常にニコニコしているから人が集まってくるという人です。周りからとても愛されているのでしょう。私も昔から祖母を慕っていて、おばあちゃん子でした。祖母はまだ元気ですが、95歳なのでよく考えたらいつ亡くなってもおかしくない。会いに行くたび「もしかしたらこれが最後になるかしれない」とも多少は思っていました。そういったことから、形になるものを残したいという気持ちはどこかにありました。 7、8年くらい前だったと思いますが、祖母にどんな人生を送ってきたのかなんとなく聞いてみたのです。そうしたら、うまく時系列に沿って話を聞き出すことができなかったし、よく理解できない部分もありました。それらも含めて、祖母らしくてかわいらしかったのですけどね。私自身も本当に興味があれば母親に聞けばいいかな、くらいに思っていました。ただ、深掘りしてみたいというのと、形になるものを残してあげたいという気持ちは常にどこかにありました。Facebookを見た時にそういえば「親の雑誌」があったなと再認識し、パキッとハマった感覚がありました。 私が申し込んだのは、祖母、母、叔母含め、期せずして女系家族のため、私が大黒柱のような役割を果たしているからです。兄弟もいますが、僕がやるのが一番自然なんだろうという判断でした。

 

―「親の雑誌」を作りたいと伝えた時のご家族の反応は?

母はとても喜びました。祖母には母が説明したので又聞きですが、「そんなのやってくれるの!?」と大変喜んでいたそうです。結果的には、発起人が僕で、事前準備などは祖母と同居している母がやる形になりました。

―事前準備(プロフィール、年表の作成、掲載写真の準備)担当のお母様のご様子は?

母が事前準備を喜んでやるだろうとは想像していました。母もいろんな趣味を持っていてアクティブではありますが、祖母のサポートが生きがいのひとつになっているのですね。祖母の年表をまとめたりすることを2人が共同作業でやって、絆を確認しながら生きがいにするというのは、事前にイメージできました。その想定で申し込んで、実際にそうなったと思います。

―事前準備の感想などはお聞きしていますか?

祖母が若いころの基盤は九州にあったのです。何分昔のことなので難しいけれど、写真という形でその時期のことを掘り起こして残したい、という思いが母にはあったようです。働いていた病院や、働かれていた先生方、色々なところに手紙をお送りして、協力をお願いしたそうです。10数枚に渡る手紙を送ったりもしていました。「駄目でもともと」と言いながらやること自体を楽しんでいたようで、かなり熱を入れていました。

 

―完成した雑誌を渡したご家族、おばあ様の反応は?

私の兄弟は(直接渡したわけではないですが)、「読んで泣かずにはいられなかった」と言っていました。祖母への感謝と、その人生を知れてよかったという思いを持ったのだと思います。母は、取材にも同席していましたし、原稿の校閲もしていて内容は全て知っていたので、渡した瞬間という意味では泣いたりはしていませんでした。それでも、その後何度も私に感謝の電話なりLINEなりがくるあたり、非常に感謝しているのだと思います。そんな私自身ですが、初めて原稿を読んだ時、自分のルーツとでもいうのでしょうか、自分の性格に、祖父、祖母それぞれの生まれと育った環境、もちろん両親から来ているものもありますが、そういうものが混じって今の自分を形成しているのだと強く実感しました。急に自分自身の解像度が上がった感覚を持ったと言うか。自分のアイデンティティーを強く感じた経験だったと思います。 肝心の祖母は完成した雑誌を読んで、泣いて、その場で人形みたいにじっとしていました。祖母の妹が同居しているんですが、その大叔母も、同じようにじっと座って読んでました。彼女も、自分のことのように感じていたようです。その2人の姿はとても愛おしかったです(笑)。祖母は僕に「ゆうちゃん、ありがとうね」と繰り返すばかりでした。翌日も朝起きてから「昨日も読ませてもらって、涙が出てきてね」って言われました。僕が家に帰ったあとも何度も電話がかかってきて「昨日も3回読ませてもらったけど、そのたびに泣けてね。ゆうちゃんありがとうね」って(笑)。それだけ喜んでくれたのだなと思いました。 祖母は、今もある程度健康ではあるものの、やはり95歳という年齢もあって少しずつ弱っている様子が出てきているように見えます。少し体調が悪いと連絡があったので、電話で話したのですが「木が枯れていくように、人も枯れていくからね」と言っていました。生きる気をなくしているわけでは全くないですが、人生の最期は少し意識し始めていることがどこかしら伝わってきます。その意味では、非常に良いタイミングで渡せたんじゃないかなと思っています。

 

―「親の雑誌」を制作して思うこと

今回、本当によかったのは、愛情があって、残してあげたい、という気持ちを家族が持っていたこと。年齢だけ見ればいつ亡くなってもおかしくない、という前提がある中で、ちゃんと間に合った。間に合わなかったということも当然起こり得るわけです。そうならなかったのは、本当によかったと思っています。どのタイミングで作るのがいいのか判断するのは難しいですね。私としては、人生の終わり方を少し意識し始める時期が良い気がします。イメージとしては80歳前後とかでしょうか。でもある程度健康な内に渡してあげたいですし、その見極めというかバランスは難しいところですね。 私は、(悪い意味ではなく)祖母はこれを読んだことで、納得してあの世に行けるという気持ちになったのではないかと思う部分があります。僕はそれを非常に良いことだと感じています。人には当然、死期があります。長生きしてくれるのは勿論うれしいですが、ただただ延命すればいいというわけでもなく、納得感と充実感を持って来るべき最期に備えられるなら、そんな素敵なことはないと思います。死生観は個々人で異なっていて、僕の考えでしかないですが。おそらく祖母もそれに近い考えなのではないかと勝手ながら思っています。祖母の「木が枯れていくように、人も枯れていくからね」という儚くも美しい言葉は、「その時がきたら、私は満足して逝ける」と言っているように聞こえました。そう思ってくれるなら、心からこのプロジェクトを進めてよかったなと思えます。

 

 

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