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自分史作成サービス「親の雑誌」お客様の声

家族というものに向き合えたという自負を持てました

(写真:申込者伊藤浩樹様とお父様の「親の雑誌」)

■親の雑誌 お客様の声

お申込者である息子様(伊藤浩樹様)にお話を伺いました。

【伊藤浩樹様プロフィール】

1986年兵庫県神戸市生まれ。2008年に東京大学卒業後、外資系金融機関、外資系コンサルティングファームを経て、2013年にWebサービスを運営するベンチャー企業に入社。2018年8月にアルプ株式会社を創業。

 

作ろうと思ったきっかけは父ががんを患っていると知ったことです

2018年に父ががんを患っているということがわかったんです。厳しい状況でした。 その後、「親の雑誌」のことは妻から教えてもらい、その存在を知りました。父親については、あまり自分で書いたり何か残すことはしなさそうだと思っていたので、これならやってもらえそうという期待もあり、お願いすることにしました。 もともと母方の祖父母が自費出版で本を出したり、手記を残していて、私もそれを面白く読んでいたこともあり、私としては自分の両親にも何か書き残してほしいと常々思っていました。「親の雑誌」については、こういうアプローチもあるのかと新鮮な学びがありましたね。

 

「親の雑誌」を作ってほしいと父に伝えるのは少し勇気がいりました

まず、母から「お父さんは、写真や資料の準備とか大変そうでなかなかやる気にならないんじゃないかな」と心配はされました。父は父自身がフィーチャーされるのがあまり好きではなさそうでしたし、病気で疲労もある中、あまりややこしく手間が増えても大変かなという懸念はありました。本当は、もっと早いタイミングでカジュアルにお願いしたかったんです。でも最期に作ってほしい、という感じになってしまいました。父もそれを察して承知したという部分もあったと思います。 とはいえ、いざやり始めたら、家系図も入れたい、文章もしっかり納得いく形に仕上げたい、あの写真もこれもいれたいと大変前向きに作ってくれましたね。

「親の雑誌」を作ってほしいと伝えるのは少し勇気がいりました。照れもありましたし、面と向かって残してよと伝えるのはためらわれました。なぜ作るのか?なぜ今なのか?を突き詰めていくと父の最期を先に受け入れてしまう気もして。でも、あまり長くないことは事実なのです。だからこそ、共同作業としてこれをやりたいと伝えやってもらいました。結果、作ったことは私にとってももちろんですが、家族全体にとって大変よかったです。かけがえのない共同作業でした。

 

制作中は、父についての新しい発見がたくさんあり大変面白かったです

雑誌に掲載する写真を準備するために、父の幼少期からのアルバムや家族のアルバムを掘り出しました。この行為自体、大変面白かったですね。結果的に、全員でこれまでの家族の歴史をおさらいするという機会になりましたし、父の幼少期の写真など滅多にみなかったので、父についても新しい発見がたくさんありました。ついでに昔の父の作文を見つけたり、楽しかったです。今も、その掘り出してきたアルバムが実家のリビングに置いてあります。帰省したときにはいつも眺めています。

 

「親の雑誌」が完成して感慨深いというか、本当にいいものができたと思いました

やっぱり、感慨深いというか。本当にいいものができたと思いました。 父の幼少期や若いころ、両親のなれ初めなど、私自身も知らないことも多かったので新鮮な気持ちで楽しめました。母のインタビューを読んで、今更ながらこんなことを考えていたのかと思うこともありました。周りの方にとっても、父や母のこと、父の仕事の歴史など、普段多くを語らぬ父だからこそ、この「親の雑誌」を通して知る父の別の側面があったようで、皆さん新しい発見があるとおっしゃっていました。

 

制作を通して家族で共通の体験ができ、父に想いを伝えられました

作ったことで、家族として、改めて父に感謝を伝えることができたと思います。私たちが父への気持ちを言語化し、また父も自身の考えをこの「親の雑誌」に落とし込んでいくことで、家族にとって最後の、大きな共通言語が作れました。最後の最後に共通の体験を家族としてできたこと、そしてそれをもって父に想いを伝えられたことは大きな意義がありました。私個人としても、それまで素直に向き合いきれなかった反省がありながら、「親の雑誌」を通してしっかり父親と、また家族というものに向き合えたという自負を持てました。

何よりよかったのは家族だけで読むことにとどまらず、親族や周りの方に父の内面を新たな角度で知ってもらえたことです。父が亡くなったあとでも、この雑誌のおかげで父について語る人、父のことを知る人がむしろ増えたとすら思います。ちょうどお葬式の前日に牧師先生に見せたところ、お葬式の中で「親の雑誌」についても言及いただけました。それで親族や参列の方からも「その雑誌が欲しい」「見せてほしい」と言われて。結果として、たくさんの人に父のことを、新たな角度で知ってもらえたので作った意義はありましたね。 選んだプラン(スペシャルプラン)は20冊雑誌がついていました。最初20冊は多くないか?誰に配ればいいんだ?と家族の中では話していました。ですが、気づいたら1部しか手元に残りませんでした。急いで増刷のお願いをしました。笑

 

父の「親の雑誌」は、母にとっても宝物になったと思います

母は「親の雑誌」があってよかったと思っています。母にとっても宝物になったと思います。 今だと動画も写真も簡単に残せますが、その人らしい、思想、思考、言葉を残すのはまだまだ難しい。そういったものがしっかり言語化できて、形にできたことが何よりよかったです。私も読み返すことがありますし、母や妹も何かの折に読んでいると思います。それぞれにとっての気持ちのよりどころになっていると実感しています。

 

早く作った方がいい、あとからもう一冊作ってもいいんですから

「親の雑誌」は、家族での共同作業によってつくられます。単なる、親の歴史をなぞり、親の言葉を読む冊子ではないと、心底感じました。家族全体の貴重な共通言語の一つだと思っています。

つい先日、Facebookに「親の雑誌」のことを投稿しました。想像を超えて大変多くの反響をいただきました。自分たちも作りたかったとおっしゃられた方、10人以上いらっしゃったと思います。私の世代でも、「親の雑誌」を求めている人、探している人はたくさんいると感じました。思うに、「親の雑誌」を作るということを通じて、親/家族との共同作業を求めている人がいる、という気もしました。私の年代の親だと作るのはまだ早いと思うかもしれません。でもやった身としては、とにかく早くやった方がいい。あとからもう一冊作ってもいいんですから。

 

 

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