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自分史作成サービス「親の雑誌」お客様の声

きっかけは思い出づくり

(写真:お申込者H.M様のお母様)

■親の雑誌 お客様の声

お申込者である、娘様(H.M様、宮城県在住)にお話を伺いました。

 

「親の雑誌」を作ろうと思ったきっかけは、母が介護施設に移ったことでした

テレビで知って、いいなと思いました。母が高齢になったので一人で暮らしていた山梨県の甲府から、私の住んでいる仙台の介護施設に移ってもらうことにしたんですね。 母は甲府に50年以上住んでいたので、そこでの思い出を残したかったんです。それで、こちらに来る前にと2016年に制作をお願いしました。

 

思い出に「親の雑誌」を作りたいと母に言ったら、「いいね」とすんなり受けてもらえました

母に、こういうものを作る企画があって甲府での思い出に作りたいと言ったら、「いいね」とすんなり受けてもらえましたね。自分のことを話すのに抵抗はなかったんだと思います。 きょうだい会といって親戚が毎年集まっているんです。そこに来ている甥や姪が母を慕ってくれていたので、その集まりで配りたいと思って雑誌の完成もそこに合わせてもらいました。

離れて暮らしていたし、私も働いているので取材には同席していません。担当していただいた方には甲府へ行ってもらい、母一人で取材を受けました。

 

完成した「親の雑誌」を読んで、母がこんな気持ちで生きていたんだと思い直しました

完成した直後に読んだときは、ちょっとカッコつけてると思いました(笑)。かなり苦労したはずなのに、そのことには触れていないんですよ。母はこういうものができる、というのを理解して取材を受けたんだと思いました。

母は、今年(2021年)の春に96歳で亡くなりました。亡くなる1カ月くらい前、母の荷物を整理していたら、きょうだい会で配った後、しまったままになっていた親の雑誌が出てきたんです。久しぶりに読んでみたら、カッコつけてるんじゃなくて、こんな気持ちで生きていたんだと思い直しました。大変なこともあったけどいいこともあった、幸せだと思っていたんだって。ポジティブ思考だったんだなぁって。

亡くなる1カ月くらい前は、コロナの影響もあり、半年以上面会できていない状況でした。食欲もなくなり、元気もないからと特別に配慮してもらって面会できるようになったんですね。そのとき、荷物を整理していたら親の雑誌がでてきたんです。「これがあったね」と言いながらテーブルの上に置いておくことでヘルパーさんへの話題提供にもなりました。 みんな興味を持ってくれました。話のきっかけにもなるし。2年くらい前から寝たきりでしたが、亡くなる直前までしっかりしてましたから話すことができて、母もうれしそうでしたね。ヘルパーさんたちからも「どうやってつくったの」とか、「これはいいね」と好評でしたよ。たまたま片付けていたら出てきたのはラッキーでした。

 

今でも何回も読み直してるんです、文章で残すことの大事さを感じました

私は亡くなってからの方が何回も読み直してるんです。文章として残るのと、思い出になるんですね。 写真も撮ってもきれいでさすがプロだと思いました。母の遺影に使いたかったと後から思いましたね。その時はバタバタしていて思いつきませんでしたが。表紙を見て、写真用の服装もちゃんと用意していたんだとわかりました(笑)。 制作を依頼した当時は、甲府での思い出づくりくらいにしか思っていませんでしたが、作っておいてよかった。亡くなったあと、きょうだい会のメンバーも読んでくれたようです。「あれを見て思い出すよ」と言われるんですよ。みんなから、「年を取るならおばさんみたいになりたい、鏡だ」と言われるような人でしたから残せて良かったです。

シベリア抑留の経験のあるおじが自分史を作っていたんですね。でも、自分史を作れる人はなかなかいないと思います。自分で書くのは簡単ではないですから。(親の雑誌という)企画があったから作れました。 最初にテレビで親の雑誌を知ったときは、高齢者だと誰かがじっくり話を聞く機会がない、それで喜ばれたと言われていたと、記憶しています。そういうよさって、ありますよね。子どもが親の話をじっくり聞くことってなかなかないです。私も母の話は断片的には聞いていましたが、じっくり聞くことはなかったですから。

私の場合は、最初のきっかけからこうなることは想定していませんでしたが、文章で残すことの大事さを感じました。母がどう思っていたか、残せてよかったです。

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