
普段着の言葉だから、違和感なく読んでもらえる
(写真:お申込者M.H様のお父様)
お申込者である娘様(M.H様 神奈川県在住)にお話を伺いました。
―親の雑誌を制作したきっかけを教えてください
発起人は主人なんです。亡くなった自分の父親に作ってあげたかったんだと思います。いいものだから、誰かにやってあげたいという気持ちだったんじゃないでしょうか。私の父が米寿になるタイミングで提案してくれたんですが、お祝いの品物を選ぶんじゃなくて、その人特有のものなので、私もこれはいいな、と思いました。
最初、父は遠慮していたんですよ。日記を書いてるから、そんなことしなくてもいいと言って。主人がもらった資料と一緒に「僕からプレゼントしたいんです」と書いた手紙を送ったんです。私も援護射撃はしました。こんなに思ってもらえるなんて幸せなことだから、是非やってほしいと。
―制作過程で感じたこと
やると決まってからは、父はとても協力的でしたね。プロフィールや年表を書いて、写真を選んで送ってくれました。プロフィールと年表は主人が清書して、(こころみに)送って。主人も事細かに段取りをしてくれたんです。
父は、あの年齢にしては苦にせず、作業してくれたのでいいものが作れたのだと思います。子どもから「作りたい」と言われても、アルバムから写真を選んできれいにはがして送るのは
大変だったんじゃないでしょうか。 掲載できる写真の枚数に制限がありますが、あれもこれもと送ってくれるので、遠隔で伝えるのは難しかったですね。主人のまめさと、父の頑張りがあったからこそです。
写真は悩むんですよね。父が送ってくれたものと少しアングルが違うけれど、もっといいものがあったはず…、と私が持っている写真もかなり探しました。入れたい写真もすぐにいっぱいになってしまうしね。同居されてるお子さんたちだと、いくらか準備も楽だとは思います。
写真の準備は大変ですがあった方が絶対いいです。母は亡くなっていますが、笑顔のいい写真をたくさん載せてもらえたのはうれしかった。
私は子どものころからアルバムを見ていたので写真にはさほど新鮮さはなかったですが、妹は初めて見る写真もあったようです。私も、台紙付の両親の結婚式の写真は初めて見た気がしました。
―雑誌完成後に感じたこと
私は、以前から父の話はよく聞いていたので、雑誌になった内容はほとんど知っていました。まず、食べられるようになること、人に迷惑かけないように働いてきたことなど、以前から話は聞いてはいたんです。でも、文章になったものを読むと、偉いなとか、この時はどんな気持ちだったんだろう、とかいろんな感情がわいてきました。息子のことで父に愚痴のようなことを言ったことがあるんです。そのとき「わしからしたら、ぜいたくな悩み」と言われたんですね。それが、文章を読むと説得力を増すんですよね。
私は、妹が生まれる6歳まで一人っ子だったので、とてもかわいがられていたんですよ。ほしいものは何でも買ってもらえたんです。一度、指輪が欲しいと言ったことがあります。プラスチックのケースに赤や青やピンクの指輪がいくつかセットになったものを買ってもらった。そういったことも思い出しました。妹が生まれてから、貢ぎ物の記憶はないですけど(笑)。
―周囲の方からのコメント
妹は、私たちが小さいころは厳しかったけど、いいことしてたんだね、見る目が変わったと言ってました。故郷に桜を植えた話も初めて知ったようでした。一緒に生活してるときにはわからなかったこと、子どもには厳しかったけど、他人には優しかったこと、そういう今まで知らなかったことを知れて、読むたびに泣けると言ってましたね。
父の妹にも読んでもらったのですが、感動して泣いたそうです。原爆の話とか、1人で大阪に行くくだりとか、推測ですけど、いろんな感情があふれたのだと思います。
父は、仕事のことだけじゃなく、趣味についてもたくさん載せてもらえた。書いてある言葉が、よそいきじゃなくて普段着の言葉だったのがよかった。普段着の言葉だから、違和感なく読んでもらえたと言ってました。取材もしゃべりすぎたけど10点満点、満足だったそうです。昔の話を聞いてもらえたのはうれしかったと思います。電話取材でもじっくり話ができて、楽しんでいたようでした。
ただ、一番読んでほしかった人(お世話になった方の娘さん)が年齢を重ね体調が悪くなってしまったので読んでもらうのが難しそうなのが心残りだとは言っていましたね。
親の雑誌最終ページ掲載写真より
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