三浦十美雄の“幸せ”に迫る
あんまり考えたことがないな。幸せというものがあって、それを取りに行こうみたいに考えたことはない。僕が死んだあとに、他の人があの人は幸せだったとかどうかなんて僕の問題じゃないしね。
そもそも世の中に幸せというものが絵に描いたようにあるのかという問題なんですよ。だから僕は幸せになる可能性も、不幸になる可能性も両方あると思っています。「これが幸せ」だと考えたって、何かの条件が変わってしまったらそれは幸せじゃなくなるからね。条件は一つだけじゃないからよ。だから何が幸せと決められない。
とにかく一生懸命やればいいんだよ。途中で変わってもいいの。そのとき、そのときの一生懸命な気持ちが大事。そういう考えだから何やったって怖くないよ。もし失敗したって、生きていれば次のステージがあるんだからね。そこでどうなるかなんて分からない。世の中、全てがつながってるんだよ。つながってて、あざなっているの。
よく幸せをつかもうなんて言いますけど、幸せなんて実態がないんだよ。言葉だけがあるの。僕は仏教徒のつもりなんだけど、阿弥陀さまなんてのも一つの例えだと思っています。だから真実に生きることが幸せなんです。その真実だって、勉強や知っている知識の深さによって変わってきますけどね。金や愛だと言う人もいますが、それで自分が目指した幸せに捕らわれちゃう人もいますよね。言葉だけに捕らわれると幸せじゃなくなくなってしまうこともあります。本当は幸せなのかもしれないのに、自分の決めた幸せに捕らわれて、気がつけないなんてことになるんですよ。
僕はあまり振り返ることはしません。今、幸せに感じる瞬間は阿弥陀さんの話をしているときですね。あとは、そういう本を読んでるときとかね。
家族みんなそれぞれの考えがあるから、こうなってほしいとかはないな。私の考えはこうだからとかは言ったりしません。それぞれで考えてくれれば十分。
あんまりどの時期が一番幸せだったかとか考えたことないけど、一番幸せなのは、今なんじゃないのかな。もう少しお金があったらいいなとか、体がもう少し動いたらいいなとかいろいろあるけどね。だけど、そういう状況でも、今が一番いいな。
困難を乗り越えるには
我慢して着々と進むしかないな。5000万以上の借金を背負ったときはもう返せないと思ったけど返したもんね。計算すると飯が食えないと思ったけど、死のうなんては思わなかったね。しゃあないなと思って気楽だった。生きているうちに何か変わってくるだろうとね。それで返せちゃったから、やっぱりあまり気にしないことが良いよね。
そもそも、小さいとき貧乏だったから貧乏は怖くなかったんだよ。それに貧乏でも食うのに困ったことはなかった。おやじは食事のときに僕を横に置いて、話を聞いてくれて、刺し身とかとんかつは僕にくれてたんだよ。そういうことがおやじも楽しかったのかな。それも幸せなことだよね。
やっぱり幸せなんてのは実体があって、それを取りに行こうなんてものじゃないんだよ。その点で、おやじは天才だったと思う。子どものころはバカだと思ってたけど、親鸞の仏教を学ぶうちにおやじはすごかったなって思うようになったね。今では、すごいおやじに育ててもらったなと思ってる。
幸せはあとで気がつくもんなんだろうね。言いかたを変えたら幸せはすでにあるんだよ。気づいているかどうかの違いだけなんだよ。実はすでに自分の中にあるもんだよね。だから本当はみんな幸せなんだよ。だけど、幸せは外にあるもんだとみんな勘違いをしているから、自分は不幸だと思ったりするんだよ。
Family’s Photo
編集後記
三浦十美雄さんのオリジナル雑誌が完成しました。お仕事での様々なご苦労など、胸に迫るエピソードの数々、心に残っております。何事にも真摯に向き合われ、いつも人生を楽しもうとなさる生き様に尊敬の思いです。真面目さの中にユーモアも忘れない、三浦十美雄さんの素敵なお人柄が随所に感じられる1冊になったかと思います。みなさまに、笑顔でお手に取っていただければ幸いです。この度はありがとうございました。
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