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THE三浦十美雄

平成29年11月発行 / 神奈川県在住・昭和16年生まれ

自分の信仰心の中で生きればいい

 基本的には信仰生活はなかったんです。おやじは名古屋から東京に出てきた人で隠者の如き生活を送りました。本願寺がおやじの実家のご宗旨だったんです。浄土真宗本願寺はお西とお東があって、築地本願寺は西なんだけど。おやじがここだと言うので、おやじが亡くなって西のお寺の住職にやってもらったら、おやじの実家は東の方だった。

 おっかさんは宗教の話はしたことがないんだけど、僕が鎌倉に遠足に行ってお像をお土産にあげたら、大事にして木の箱を見つけてきて毎朝拝んでた。信心深いというか、迷信深いというか。涙もろくて優しくてね。毎朝大仏を拝んで、お話したりしてるわけ。築地の交差点に交番があって、そこが空き家になってこじきが住みついてたんですよ。そこにおにぎりを持って行ってやってたんだよ。あるとき僕がついてったとき、こじきは「いらねえ」とか言ってるわけだよ。おっかさんが頭下げて「もらってください」と言ってた。おやじよりおっかさんのほうが宗教心が厚い方だったろうな。

 僕は本願寺がどういうところかは分からなかった。まったく知らなかったんだよね。築地で育って毎日見てても遊び場だと思っていた。

 娘が中学に入ってプロテスタントの学校に行ってたんです。娘が中学2年のとき、お父さんと近くの教会に行きなさいという課題があって、横須賀の馬堀の家から国道を越えたところに教会があったんですよ。アメリカ人のご夫婦がやってたからプロテスタントだと思うんだけど。そこに娘と行ったんです。行ったら大変な拍手で迎えられて良い感じだったね。娘は1回目で終わったけど僕は毎週日曜日に2年ほど通いました。聖書も読んだし、かなり聖書について読み込んだんです。

 あるときね、この先生に洗礼を受けようと思って、「洗礼を受けさせてくれ」と頼んだら「僕はアメリカに帰る。今度日本人の牧師が昇格するからその人の一番最初の洗礼を受けてくれないか」と言われたんだけど、僕はその人は好きじゃなかった。その人の行動が、尊敬すべき行動じゃなかったからね。牧師がアメリカに帰ったあとは僕は行くのをやめてしまったんです。キリスト教の洗礼を受けようと思ったのはその一度だけですね。中学以来、文学や哲学はずっと目に付くものは読んできました。でも宗教心を育まれているとは思ってなかった。

 おやじの言葉を思い出して、逸見にあるお寺の住職のところで葬式をあげることにしたんです。墓もつくり、門徒になりました。そのご住職にお会いしたときに体に電気が走るみたいにビビッと感じた。すごい人だなと感じたわけ。立派なご住職だと。葬式をしてからは、ことあるごとにお寺に遊びに行ったわけ。法事があるから話を聞いて、聞けば聞くほどいい人なんだよ。お寺に行くうちにだんだん好きになってね。そんなことしてるうちに、連研(連続研修会)に出たわけね。2年間で12回、半日勉強会があるわけ。そういうのに出ていろんなことが分かってきたんだよね。

 連研に通って浄土真宗のいろいろなこと、差別の問題とか勉強させてもらって、サラリーマンが終わったら坊さんになりたいと言ったわけ。そんな話をしたら、お寺に1週間に1回通ってよって言われて、10年間くらい土日祝日通ってたんです。朝から行って終わるのが夕方だから、終わってから住職と一杯やる。そのうちに、門徒推進委員の資格を取ったんです。門徒推進委員の試験は3日間あるのかな。それを取ったの。

 宗派の機関運動推進委員会の役員に、門徒として最初に選んでくれたもんだから、忘年会とか新年会に出るんです。熱海でやったときに坊さんが僕のところにあいさつにくるんだよ。そしたら、たまたま女の坊さんも来て話をしたんだよね。そしたらその女の人の肘をねじったりつねったりしてた、他の坊さんがいたからやめさせたんだよ。でも、その人があとになってみると手が上がらない、つねられた跡があるとかわかって、その女の人が怒ったわけだよ。宗派のほうが、やった坊さんに謝らせればいいのに「そんなことはなかった」と言ってもめたの。それで女の人が宗派を訴えて裁判になったんです。それで僕が証言を頼まれて話したわけ。そしたら「三浦はうそついてる」とか言われたよ。

 宗派の人たちはチラシを作ったりじゃんじゃんやりはじめた。今度は住職と僕とで訴えたわけ。それで大戦争を10年くらいやった。結論としては勝って、お金を払いなさいということになったけど、向こうは払いたくないわけ。最高裁までいったけど最高裁は却下しました。それで高裁から示談にしないかということで話が来ました。向こうから謝ってきたので、示談に応じたわけ。こんなことがあったから坊さんになるのはやめました。

 宗派の組織じゃなくて、自分の信仰心の中で生きればいいんですよ。僕は浄土真宗の左派なんだよ。親鸞聖人だけじゃなくて、法然上人の両方を含めて考えている。一時期は本願寺派の「組」といって、その中の三浦組からの選出された理事として20年東京教区の理事会に出ていた。それも70歳になったときにやめたんだよね。

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