
阿野昭三郎として生きてきて
2016 年 3 月 10 日。
「THE 阿野昭三郎」の発行にあたり、さいたま市に住む彼の自宅を訪ねた。鹿児島県指宿市に生まれ、地元の名士の父と商売人の母の元で幼少期を過ごした昭三郎氏。東京に出て兄と共に会社を起こし、兄が倒れたことで急きょ会社を一手に引き受けることとなる。2時間に及ぶインタビューから、仕事への思い、社員への思い、そして家族への思いに迫る―。
7人兄弟の末っ子
生まれは昭和18年。鹿児島県指宿郡山川町という港町だよ。昔は繁盛していた町だったんだ。20年前に帰ったときは過疎化していてね。港町だから、家は鰹節を作っていたよ。それと、お風呂屋・運送屋・貸店舗なんかしていたね。長くて大きい家でさ、相撲の巡業あるだろ?周りに旅館がないから、みんな家に泊まったんだ。小学一年のときだったかな、羽黒山がいたんだ。
父が県会議員で、母が商売人。父は地元に貢献した人だった。漁業組合長もしてさ。台風の時期になれば、父は消防団で外を守りに行ったな。母と兄弟で家を守っていたよ。父親は地元に厚くした人だったね、誇りに思っている。人のために尽くす人で、人望があったな。
私は、460匁(もんめ)で生まれてね。匁って単位、今の人分かるかな?要は未熟児で生まれてさ。ダメだろうって言われていた。7人兄弟で、男3人に女4人。私は一番下で、上の姉とは二回りも違うんだ。一番下だからかわいがられたよ。それに、50歳近い時に出来た子だからね。
肝っ玉母さん
母親が商売人でね、魚を担いで行商人をしていたな。魚の入札をしたりね。家の事を全部母がしていたから、母の影響が大きいかな。物心ついたときが一番いい時期だったよ。母親は厳しい人だった。お線香をあげないとご飯はなし。父の前で胡坐をかいてはいけない。悪いことすると、お線香を手の甲にあてられて、痕ができたりしたよ。長櫃に入れられたりもしたよ。お仕置きだね。母親は仕事で忙しかったから、住み込みの女中さんのふみさんに育てられたんだよ。
「金儲けは体で稼げ。」これは、母の言葉で、良く格言を言う母だったんだ。私の基本も「汗を流して稼げ」だね。今は通じないけど、頭を使ったり人それぞれの得意分野があるしね。あっぱれの母親、印象深いね。母は55歳で倒れて、10年寝たっきりだった。
子どものころ
小学1年のとき、一学期休んだんだ。小さいときに一学期休むと大きいね。二学期には学芸会で一休さんをやってたよ。髪をそって丸坊主。小学4年生のころから、風呂の番台に座っていたね。お風呂屋やっていただろ、だから学校から帰ってきたら木屑を片付けてカゴを上げたり、お手伝いばかりしていたよ。中学2年まで自分の机がなかったもの。勉強しないで、使われていたよ。一番かわいがられたけれど、一番手伝わさせられていたね。中学3年のときに鹿児島市内に転校したの。実家から50キロ離れているから、下宿生活だった。中学3年から高校3年までお世話になった。そのときに初めて机をもらったんだ。
進学とその後
玉龍高校に通っていたよ。高校時代は勉強はダメだったなあ。当時、ラグビーやって怪我ばっかりだったから、生徒会長から誘われてバレー部に入ったんだ。そのころ9人制から6人制に変わるところで、自分はレシーブ専門だった。鹿児島代表で全国大会に出てね。代々木に泊まってさ、シードの藤沢に1回戦で負けてしまった。全国大会に出場したのは孫と自分だけだから、誇りに思っているんだ。厳しい中で育てられたから、自分は体育会系だね。今は透析4年やって25キロ痩せちゃったけれどね。
大学は失敗しちゃって、専門学校に進んだんだ。テレビのカメラマンになりたかったから、池袋の電波学院に行った。自分でテレビを作ったりしていたね。勤めは亀戸だったけれど、長兄の調子が良くなくて、22歳ぐらいのときかな、鹿児島に帰ったんだ。田舎に帰って後を継いだね。そのときはもう鰹節はやっていなくて、お風呂屋と運送業をやっていたよ。
再び東京へ
昭和40年ごろに東京で仕事をしていた兄に呼ばれたんだ。共同で一緒に仕事をしていた仲間が弟を呼んだので、自分も同じように兄から呼ばれたんだね。その後、独立することになって、共同者とは業種で別れたの。自分らはラインの仕事でさ、他は梱包のテープの仕事。最初は早稲田にあるGREEN CAB駐車場1台分が事務所だったよ。壁を作って、5人でスタートしたね。兄は営業で、私は現場。頭の切れる兄だったよ。手帳がきれいでさ、「人の手帳を盗んできなさい。」って言われていたな。
2番目の事務所は6畳の住み込みでやっていたんだよ。このときに妻と知り合ったね。次の移転は最初の場所に戻って、12台分を事務所にしたんだよ。倉庫や駐車場ぶんも確保してね。昭和48年、与野市上峰に事務所を移転してね。社員を近くに住まわしたんだ。420坪ぐらいの大きさだよ。
2人の大恩人
1人目は、アトミックス専務の西川政之助さん。この人に経営のやり方を教わったんだ。田辺経営のモデル会社になったときに西川さんに呼ばれて、会社を変えていこう!と管理会計を徹底的にやった。管理会計っていうのは、始める前の仕事、計画だね。財務は後でついてくるものだから。当時は「こんなことやるなら仕事させてくれ。」と思ったものだよ。
そして2人目は、商売の基本を教えてくれた三角さんだね。寿司屋の親父さんでさ、子どもがいなかったから息子のようにかわいがられたよ。でもズバリ怒られたりしたね。私は人にすごく恵まれているんだ。言うし言われるし、そんな仲間を作ったよ。計画書を引き継いで作り初め5~6年。富士山の見えるところに泊まり込みでやっているんだ。管理会計は20年以上やっているよ。「目的と手段をはっきりすること。」経営で大切なことだね。どうするかを明確にする。だから計画書が必要なんだね。
社員は家族
社員旅行はたくさんしたなぁ。家族を呼んでみんなで行ったよ。会社で「感動旅行」を作ったんだ。何かと言うと、一班6人で10万ぴったりの予算旅行を計画するの。9万9千円じゃだめだよ。10万円でね。ただし、仕事には一切支障を起こさないように計画すること。行先は、海外(グアム・フィリピン)、沖縄もあったな。メンバーも自分たちで決めて10班できたよ。発表会なんかして、ものすごく楽しかった。
今でも社員旅行はするよ。でも全員じゃないな。息子は行きたい人は手を挙げないとダメというタイプ。チャレンジしないと引っ張らない。息子には9年前に会社を譲って、今私は無職だよ。会社行くと息子とぶつかるんだ。行けば言いたくなるからね、今年入ってからは節分の日しか行ってないな。今の時代にあった考え方手段や目的が、私の考えとは違うんだな。私はね、社員は家族って思っている。今の社長は成果主義だね。
妻との出会い
すべてが計画なの。結婚も出産も。うちは5月生まれが多いでしょ? 早生まれだとかわいそうだと思ってね。計画して2人にしたの。自分は25歳で結婚するって決めていたんだ。3~4人目で引っかかったのがかみさん。私から声をかけて、お話したりお茶飲んだり。偶然かみさんの両親が高知から出張でくるってときがあってさ、顔合わせの機会ができたの。そのときに「結婚させてください。」って頭下げてね。向こうの両親は嫁にあげるつもりはなかっただろうね。
知り合って3ヶ月、あれよあれよと6月に結婚したね。結婚式は学校の先生している義兄さんが仲人してくれて、東京の大久保で挙げたよ。現場行ってそのまま結婚式だったね。20人ぐらい集まった。新婚旅行はレンタカー借りて、河口湖・箱根・熱海回ったよ。うまくやっていけるのは、前日どんなにけんかしても翌日は引きずらないからね。かみさんのおかげだね。
人間関係が大切
私のところは現場仕事だから、安全が第一だね。苦労と言うより、心配が多いよ。交通関係だから一番は交通事故。40何年前に交通事故をやったんだけれど、その時はきつかった。なんとか金刑で済んで罰金だったよ。商売やっていれば、資金繰りや人間関係みんな悩みありだね。自分が良いと思ったことが他人に良いとは限らないからね。お金のことは全部かみさんがやってくれたから、お金の心配はなかった。
一番は人間関係だよ。ぶつかることが、1人対30人のときもあった。私はね、本音で付き合うことが一番だと思ってる。いつかは分かってくれるって思っている。裏切り行為は絶対にやってはいけないよ。倍になって返ってくる。その人から受けなくても、他の人から絶対返ってくるからね。例えばさ、孫請けが元受を飛ばすようなことはするな。それやったら、ダメだね。筋を通すこと。基本は人間関係だよ。
自分は商売では苦労したほうだと思います。兄が早くに亡くなったからね。でも苦労したことは必ず成果が出る。出すように努力するということだと思います。私ほど失敗している人間はいないからね。
息子・娘・孫
娘は自分に似ているよ。心配性で石橋をたたいて渡るタイプ。子どもが双子だから、子育て仕事に頑張っているなと思う。私の誕生日祝いは必ずやってくれる、気持ちの優しい子だよ。娘が小さなころ、練馬でネットボールコーチをやっていた。頬を叩くことはなく、手のひらを叩いてカツを入れていた。しごいてくれてありがとうと言われたよ。今は会社で仕事をやっている。決算表など作っていて、仕事はピカイチだね。
息子は母親に似ているな。成果主義だね。私に出来ないことをどんどんやる。口ではかなわない。仲間作りが上手いよ。ポリシーを持っていて、見る目があるしね。欲しければ取りに来い!下をあげたいなら上から上げると考えていて、私とは180度違う。私は下から上げていくから。退職のときは腕時計をプレゼントしてくれてさ。まあ、かみさんが言ってくれたのかもしれないけれどね。玄関先にある自転車、素敵だろう?それも息子からだよ。自分より心があるかも。さりげなくやるからさ。
孫は5人いる。孫たちに伝えたいことは、「親を大切に」それだけ。それ以上たくさん言葉にしても仕方ないでしょ?
コメント欄
ありがとうございます。
改めて本当に良くまとめて戴いたと感謝しております。
訪ねてきた方には、 何時も、自分の事が一番解るから。と見てもらっています
素晴らしい 記念誌です
阿野様、コメントありがとうございます。
そのような使い方をしていただいてるのですね。
多くの方に阿野様のお考えや生き方が伝われば幸いです。
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