こだわらず、決めつけず、なるようになる
大内今朝美として生きてきて
2015年9月11日。
「THE大内今朝美」創刊号の発行にあたり、茨城県久慈郡の彼女の自宅を訪ねた。高知県で生まれ、2人の兄と4人の姉に囲まれ育ち、仕事は保育士として活躍。生涯の伴侶二男氏と出会い、一男一女に恵まれた今朝美さん。絵手紙、グランドゴルフなど多くの趣味を持ち、明るく楽しく生きる彼女の半生を追う―。
家族のこと
生まれは高知で昭和15年。山の中で生まれたの。山の上の家からバス停に出るまでに30分かかるような所よ。
家は貧しかったから、行商の人に魚(うるめ)なんかと米と卵を交換していたの。私は贅沢は言わないのよ、周りも質素だったし。
私は7人兄妹の5女なの。長女は「目は涼やかで眉は三日月のよう」と言われていたほど美人だったけれどね、5歳で亡くなってしまったの。父は私が誕生して1年10日で亡くなってしまったわ。
家は養蚕家で、1年に3回蚕を飼って、自分たちが食べるものは作っていたの。桑の葉をとる手伝いはよくしたものよ。
そうそう、試験の時に「父母の思い出を書きなさい」という問題が出た時には、私が桑の葉を取っていたときに手を切ってしまって、母がつばでヨモギを揉んで切った手につけてくれたことを書いたわね。
子どものころ
小さいころは私はいじめられっ子だったわ。体の具合が悪かったからいじめられてたの。
小学校のころは給食は家に戻って食べていたのね、それで家に帰るときになると虫を私に投げつける男の子がいたのよ。私が怖がっているのを知って、あるときお兄ちゃんがその子を馬に乗せちゃったのね。その子は馬に乗った事なんかないから怖がっちゃって。兄が私を守ってくれたの。
成績は良かったけれど、勉強は、好きじゃなかったの。クラスで20何人中、4番くらいだったかな、中学は小学校からそのまま上がって同じ感じだったわ。
高校に入ると、家から30分下がってバスに乗って通ってたの。バス停までの山道は街灯もないから冬なんて真っ暗でね。母が提灯持って迎えに来てくれて、カバンまで持ってもらってたわ。
兄姉にも、母にも手伝ってもらって何もしないで育ったわね。お弁当の世話もしてもらったもの。雪の日に歩くときには、靴にわらを滑り止めに巻いてもらって、きょうだいが前で雪を掃いてくれて、後ろは転んだら困ると支えについてくれてたしね。
保育士として
高校卒業したら一休みしたいと思っていたのに、すぐ農協に就職が決まっちゃってそこで働いていたの。数字は得意だったから。成績も4でね。でもね、農協で一通り仕事覚えて4年やったら退屈しちゃったのよ。仕事は早く終わらせちゃって、それから保育士の資格を取る勉強することにしたの。十何科目あった資格の勉強をして、実技のピアノは最低限の曲だけ練習して受けたのね。今は孫とどっちが上手か、ピアノの競争してるわよ、だから内緒でちょっと練習しとこうと思って(笑)。
資格をとるのは家族に内緒にしていたのよ。試験合格者氏名が新聞に載ってそれで知られてしまったのだけど、資格さえ取ればよくて家族も反対せずに了解してくれたわ。
保育士の資格を取って最初の仕事は高知の矢井賀の保育施設で4年いたの。山から海へ出たわけよ。漁師町でね、夫は遠洋漁業で海に行っちゃうようなところ。ここで保母さんになって、子どもはかわいいし、親たちは協力的で楽しかったわ。イワシをバケツいっぱいもらったりもしたわね。
次に滋賀県の琵琶湖学園に人が足りないって雑誌に載っていたから行ってみるの。そこで看護師さんと仲良くなって神奈川に行かないかって誘われるのよ。先に看護師さんが移って欠員が出たら私も移るって約束して、結局2人で神奈川の肢体不自由児施設県立ゆうかり園に移ったんだけど、一緒に寮に入って楽しかったわ~。このころはお給料もどんどん上がっていったわねぇ。
体の具合の悪い人をケアすること、手間がかかる子どもを褒めたりして認めてあげる、そうすると上達するのがとてもやりがいがあったのよ。
ご主人との出会い
ゆうかり園で働いていた時に、週に何回かで勉強会があったのね。そこで主人と出会ったの。最初の印象は面白くもなんともない人だったわ、ピンと来なかったしね。
そのうち主人がアメリカに留学することになって、文通をしようということになったの。アドバイスする人がいて「英語漬けの毎日だろうから日本語が恋しくなるはず」って言われて、1週間に1回手紙を出したの。そして主人から手紙でプロポーズされたわ。新婚旅行は伊豆に行ったわよ。
私って不思議なことがあってね、夢が現実になることがあるのよ。主人のことも結婚前に実家の庭に主人がいる夢を見ててね、あら~って思ったのよ。保育士の仕事は女の職場で、男の人はいないの。そのころはたいていの保育士は学校の先生と結婚したものよ。訓練士と結婚したのは私1人くらい。
主人は40~50歳のくらいの婦長クラスの女性によくモテたの!「大内さん、大内さん」ってよく声かけられてたわね。逆らわないからじゃない?フフフフ。主人は怒ったことがないのよ、でももっとはっきり自分のこと言えばいいのにね。
一範とみどり

結婚してすぐ、私が33歳、主人が35歳の時に長男が生まれたの。主人に「自分の子どもは自分で育てたら」と言われて、自分で育てることにしたのよ。頼る人もいなかったし、仕事は辞めたの。

でも一度、教員の方のお子さんをお預かりした時期もあって。他人さまのお子さんを傷つけないように心配して、安易にお引き受けしてしまったかな、と思ったわよ。でも自分の子どもたちにもきょうだいが増えたようだなって良い面も考えたわ。主人は仕事しててもピッチリ帰って来てくれたわねぇ。茅ヶ崎にいたころには子どもたちを海によく連れて行ってくれたわ。

一範はわんぱく坊主でじっとしてない子だったの。イスを引きずっている音が聞こえたら、だいたい家の子。体育の専門学校を出てから消防士になったわ。みどりもだけど、2人ともテニスが好きだったわね。みどりは看護の専門学校に行って、助産師になったの。子どものころから病院によく行って白衣に憧れてたからね。あの子は小さなころから夢が変わらなかったの。自分の悪いところを徹底的に研究する子だからね。進学にもお金がかからなかったし、いろいろ、あの子のおかげ。
たくさんの習い事
私は始めたらやめられない性格でね、習い事をいろいろやったのよ。もう辞めたけど水泳をやってて、その水泳の友達に絵をやろうと言われて絵手紙を始めて。英会話は基地に行ったりもしたけど、これはものにならなかったわ。基地の中の奥さんに習ったけど、ほんのあいさつしかしゃべれないの。一緒に通ったお友達は、海外旅行によく行くからしゃべれるんだけどね。
あとグランドゴルフ。今、これを一番やってるの。仲間が70何人もいるし、10年やってて最近3位になってトロフィーもらったわよ。週2回練習してるの。大会は春、秋とあって年5回くらい。
習うのも好きだけど教えることもあって。車の運転を主人に教えたのは私なんだから。私が乗っていたのはギアの車なんだからね。主人は白内障の手術をしたから、今は運転はしないけれど。
もともと田舎育ちだから、田舎に越してきて良かったわ。広くてね。私はヒソヒソ話が出来ないから気兼ねなく話せるのがいいの。
この辺りの人は農家で働いていたりで時間帯が合わないから友達がいないのだけど、大子に友達がいるの。私はお友達が主人より出来てるからね、そのお友達と温泉に行ったりもしてるのよ。
コメント欄
コメントを書く