家族に恵まれた
果物屋をやっていた昭和43年12月26日、家内は1人で産婦人科に行って、息子を産みました。退院したのは大みそかですね。果物屋は12月30日、31日と忙しいものですから、僕は行けなかったんです。自分で子どもを連れて帰ってきました。最初の子ですし、男の子ということでなおのこと嬉しかったです。家内には「えらかったな」と話しました。「健二」と言う名前は、昔僕が運勢を見てもらったとき、改名するならこの名前がいいと言われていたんです。それで決まりました。
長女のときは、家内の友達が病院に行ってくれました。このときも商売をしていたから僕は行ったかわからないですね。産まれたときは、「無事に産まれてよかったな」と思いました。「由香里」という名前は、テレビのクイズ番組で「由香里」という頭がいい子がいたんです。それでいいなと思って、つけました。
僕は、仕事、仕事で、子育ては家内に任せていました。そら文句言うたり、叱ったりということはありますけどね。息子が近所の子と遊んでいて相手を泣かしてしまったとき、言い分も聞かずに「お前が悪いんじゃ」とどついたことがありました。近所は女の子ばかりだったんでね。息子には厳しかったかもしれないです。息子は叱られたこと、よう覚えていると思いますよ。娘は、そんなに悪さもないから、厳しくもせず、怒った覚えはあまりないですね。
子どもは2人とも賢くてね。僕も賢かったからかな(笑)。手前味噌だけど、本当に成績が小中高通してよかったんです。娘は、中学では成績が2番とか3番とかで、卒業生代表のあいさつを読んでいました。小学校まで運動以外は出来が悪かった息子も中学に入学してからは学力が上がりましたね。最終的には米国の大学院も卒業しました。それは自慢です。
子どもたちには、自分の進みたい道に、自由に進んでもらいました。こうせいああせいも言いませんでした。信じていたんですね。横にそれず、心配もなく、真っ直ぐに進んでくれました。学費やら大変なこともありましたけど、子どもの成長は楽しかったですよ。
僕は長いことタバコを吸っとったでしょう。それで今、肺がんになったんですわ。ほんまは、去年の7月で死んどったんですよ。それが寿命だって言われました。ほんなら息子が東京の病院を紹介してくれました。息子がおらんかったら、僕は今生きてませんね。めちゃくちゃお世話になってますよ。バブルが崩れて払いきれなくなった借金も、息子が返してくれました。世界中探しても、こんな息子はおりません。最高の息子です。
娘は娘で、今も毎日来てくれます。還暦のときの大分旅行もプレゼントしてくれました。僕はわがままで、「行きたくないのに」って怒ってしまったけどね。
僕は、本当に家族に、子どもに恵まれましたね。僕の運勢について若いころに言われたことがあるんですよ。『子に恵まれれば財に恵まれず。財に恵まれれば子に恵まれず』とね。これは、本当にええ言葉やと思います。
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